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死してなお尊くて
別れとは、突然にしてやってくるものである。
そして「死」という永遠なる別れは、人間の意志をも卓越した自然的事象であり、本来ならば悲しいことではなく、風が吹き、雨が降り、川が流れるように当たり前の「事実」のはずなのに、感情を持つ僕ら人間はそれをついぞ悲観してしまう。
そうしてその心の隙間を埋めるために、人は「天国から彼らが見守っている」と言ったり、「死んだ彼らの分まで生きろ」などと言って安心しようとする。
否、「死」とは客観的なものであり、主観的な「死」とは、自らがその体験に陥るときのことである。
だから死んだ彼らは、認めるのでさえ心苦しいのだが、もう我々の未来という道に一切の直接的影響はないのだ。
だが彼らとの思い出は、彼らと過ごした過去は、それは辛いことも悲しいことも嬉しいことも全て一緒なのだが、それは我々の一部となって、我々の進む先に間接的に影響して行くのだ。
だから、人の死は悲しいものだけれど、それと同時に、未来へと進む「促進剤」でなければならないのだ。
死んだ悲しみがでかければでかいほど、その人の自分への影響力は強大なものである。
ただ悲しむだけではダメなのだ、悲しんで、けれども楽しかった思い出を思い出して、そうして彼らから学ばなければならないのだ。
人間は感情的だから、理論的な思考だけでは絶対に納得できないから、僕らは学ばなくてはならないのだ。
だから君よ、僕よ。
喪失感を精一杯味わえ。
そうしてまだ「死」に直面していない僕らに残されたものを意識せよ。
僕は、僕たちは、そうして強くたくましく、何かを失い続けながら、そして同時に何かを得ながら生き抜いて行くのだ。
なぜなら僕らは、人間だから。
なぜなら僕らは、自然の流れの中で生きているから。
死してなお輝く我が盟友の魂よ、安らかに眠れ。
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