神棚

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神棚

健治が母良枝の再婚で入った柏田家は、 昔は神主の家柄だったらしい。 大きな屋敷は、古色蒼然とした佇まいで、 うだつを載せた瓦屋根が 漆喰の白い壁を圧して被さっていた。 家の中は、現代の人間が住みやすいようにほぼ改修済みだったが 一室だけ、小さな4畳半ほどの離れは、家が建った時から 改修されていないという。 離れの畳はいつも新しい。 さして使う部屋でもないのに健治の母は決まった時期に畳屋を呼んだ。 なんでこんなに畳替えをするのか健治が母に聞くと、 「神様がお通りになるから」 という迷信じみた答えが返って来た。 確かに、離れには小さな神棚がある。 床の間の右側、長押の上に、 白木の古い祠のようなものを祀っていた。 健治がこの家に母と来た時、先ずこの部屋に通された。 義父となった書家柏田瑞風が床の間を背にして座り、 文机を挟んで母と健治が座る。 文机の上には硯、文鎮、筆、下敷きの上に半紙が用意されていた。 硯には墨がたっぷりすってある。 義父は神妙な面持ちで筆を執り、先ず「柏田 良枝」、 次に「柏田 健治」と書いた。 義父は立ち上がり、2枚の半紙を神棚の榊立てと棚板の間に挟み、 神棚から垂らした。 「神様に挨拶しないとね」 義父は二度神棚に向かって頭を下げ、 二度手を打ち、手を合わせ、一礼した。 母と健治も同じ動作をする。 「ぼっちゃん、上手にできましたね。 このお家では、新しく来た人はみぃんな こちらの神様にご挨拶するんですよ。 赤さんが生まれた時も、名づけの儀式はこちらで、 神様に、 新しい家族ですって、お知らせするんです。」 隅に控えていた丸顔の女が、 嬉しそうに目を細めて教えてくれた。 2月の、暖房のない離れは寒かった。 さむさでぴんと張り詰めた空気と畳の匂いに、 神様はこの部屋にきっといる、と幼心に健治は思った。 「お幼稚に行くときも、ご挨拶なさってくださいね」 女が笑顔をくずさず言った。 健治は毎朝、 母に上っ張りを着せてもらい、お弁当の入ったカバンを下げると 廊下を滑りながら離れへ走る。 障子を開けると一礼し、 ひんやりした空気を先ず深呼吸した。 健治にはわずかに榊の緑しか見えない。 それでも両手を合わせ、 帽子を取り「行ってきます」と頭を下げると、 神様が行って来いと送り出してくれるような気がした。
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