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シーリングファン
眠る前の一瞬、そのまどろみは廻るシーリングファンに似ている。
繰り返される日常、かきまわされる少し重たい空気、忘れたふりをしている将来への不安。
チラチラと光が差しては消えるように、希望とその逆を思い起こさせ、そして最後に諦めという名の眠りに落ちる。
多くの人はその眠りを熱望し、それは体の自然な欲求にのっとった、とてもすこやかなるものなわけだが、私の場合少し事情が違った。
いつまでもいつまでもシーリングファンは廻りつづけ、穏やかにしてくれるはずの眠気というベールは訪れない。
深夜は静かであるがゆえに瞑想的である。ただベッドにいるだけで、人生全体を否が応でも見通してしまう。
空費しているこの人生を。
見通せてしまう人生にいったいどんな価値がある?
プラスチックでできたシーリングファンのような人生に、どんな価値がある?
廻り続けるうちに生み出してしまった数々の罪は、朝日が浄化してくれる?
しかし朝日が昇るまでには絶望的な夜が横たわっていた。
空虚で優しい時間が。
毎日何とかしてやり過ごすだけの時間が。
そうして今日も新聞配達の音がする。
朝を知らせる最初の音。今日も眠れなかったことを知らせる審判の音。
自己嫌悪が募る瞬間だった。
はたらいているひと。ねむれないひと。
私の名前はねむれないひと。
何もしていない人の名前に価値などないから。
どうして私が眠れずに横たわっているか気になる?
その背景に何があったのか気になる?
それはとてもありふれたもの。ただ眠れなくなっただけ。ただそれだけ。
だから私の名前はねむれないひと。
眠れないのに、実質的には眠りつづけている人。社会的には眠りつづけている人。
いつ人生がスタートするか分からずに、天井で廻りつづけるファンを眺めている。
いずれ訪れるであろう、否応無しの眠気を待って。
それはできれば桜の散るころであってほしいと願いながら、わずかに明るくなってきた部屋に安心し、私は目を閉じた。
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