聖女の勇者

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 ラインハルトは壁面に取り付いていた魔猿を斬り、踏みつけ、そこに生じる僅かな反動を足場に別の魔猿へ斬りかかるという出鱈目な方法で地上へ降り立っていた。  魔猿は並のものでも人間より頭ひとつ大きく肉体も遥かに強靭。並の兵士では地の利を取って二対一でやっと相手に出来るそれを、最初に刺殺した魔猿から城壁を降り切るまでの僅かな間に合わせて4匹を倒している。  瞬く間に敵を倒し無事降り立ったそこは、しかし絶体絶命の死地に他ならない。城壁を背にひとり立つラインハルトに対して敵である魔猿は文字通りひしめいているのだ。 「援護だ!弓で少しでも奴らを怯ませろ!!」  城壁の上で騎士団長が声を張り上げる。決死隊を編成して救出に向かうことも考えたが、開いた城門から魔猿が侵入する危険を考えるとためらわれた。そしてそれ以上に、この現場は城門から遠過ぎる。男に出来ることは援護の指示と、あとは伝承でしか知らない聖女の刻印に期待することだけだった。   ひ弱な人間がのこのこと出てきた。その程度の認識しかなかった魔猿の一匹がラインハルトの視界の外から飛び掛かった。 速度の乗った圧倒的な体躯から繰り出される爪の一撃。今まで数多くの人間を葬ってきたそれはしかし鉄の籠手であっさりと受け止められる。  人間が何か呟いた。 「誰もその不意を打つことは出来ない」  魔猿には人間の言葉はわからない。けれども、恐怖も怒りもないその呟きに微かな不安を感じた。たとえ正面からであってもその膂力の差は容易にくつがえるものではない。しかし、人間は勢いに負けて吹き飛ぶどころかよろめきすらしなかった。 何故だ。  人間が何か呟いた。 「誰もその守りを崩すことは出来ない」  目が合った。静かに、しかし強く戦意を感じる目だった。道具を使って多対一でやっと戦える程度の小さな猿でしかない人間の生意気な表情が、魔猿なりに気に障った。  力の差は歴然。そのはずだ。このままねじ伏せてやろうとさらに力を込めたその爪はしかし空を切った。人間は爪を逸らして横に滑り込んでいる。  人間が何か呟いた。 「誰もその一撃を妨げることは出来ない」  脇から体幹にかけて半身を斬り裂かれていると気付いたのは一瞬後のことだった。剛毛、厚い皮、強靭な筋肉、硬い骨、今まで人間の攻撃を弾いてきた何もかもが役に立たなかった。わけがわからないまま、魔猿は大量の血を吐いて地に伏す。  見渡す限りの敵に囲まれたラインハルトは今までに経験のない感覚を味わっていた。知覚は冴え渡り視界に収まるどんな些細な動きも、それどころか視界の外である城壁から飛んでくる矢の一本一本までが明晰に感じられた。  四肢には力が漲りイメージそのままに敵を斬り伏せられるだろうという確信めいた自信が沸き上がる。事実、ラインハルトは望むままに敵を避け、受け、斬った。  魔猿の密集するところへ一足に踏み込み、剣を横薙ぎに払えば一閃で三匹四匹と倒す。体格が他の倍はある大型の魔猿であろうともその切っ先の前にはただ大きいだけの標的でしかない。まさに鎧袖一触だった。  その日ラインハルトが倒した魔猿の数は、既にこの17日間で人間たちが倒した魔猿の総数を遥かに上回っていたという。
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