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序
ぼっ、と。
夜道に小さな炎が燃え上がった。
放り出された提灯から火が吹きこぼれたのだ。
提灯を放り出したのは年若い手代で、主人ともども地面の上で腰を抜かしている。炎は二人の怯えた顔と、その前に立つ男を照らしている。
麻布霊南坂は南北に伸びた長い坂だ。諸藩の上屋敷が続き、右も左も白い土塀が長々と続く。その土塀に蛇のように細長い影がゆらゆらと動いていた。
立っている男が持つ刀だ。
「お、おた、おたすけ……」
どこぞの商家の主人は震える手で懐を探り、財布を出そうとした。目の前の男は強盗に違いない。いや、強盗ならまだましだ。これがただの辻斬り、人殺しであったなら命はない。
「金は」
男は低い声を出した。
「貴様らを斬ったあとにもらう」
最悪だ。これは辻斬りの上に強盗だ。
若い手代ののどからかすかな細い悲鳴が洩れる。辻斬りで強盗の男は刀を振り上げた。
「待てェッ!」
男の背後から声がかけられた。暗い道の彼方から猛烈な勢いで走ってくるものがいる。早い。あっという間に辻斬りの後ろまでやってくると、その腰から銀色の光が走った。
ガキンッ!
辻斬りはかろうじてその太刀を受けたが、そのままはねとばされて壁にぶつかった。手元を見ると、刀が柄から五寸残したところで折れてしまっている。
「おのれッ」
辻斬りは剣を急襲者に投げつけた。黒い袂がひらりとそれを避ける。
着流しに雪駄、そして黒い羽織。帯からは紫房をつけた十手が覗く。
同心だ。地べたにへたりこんでいた二人の顔が喜色に輝いた。
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