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「この状態じゃ包丁を抜いた時、下手人も返り血を浴びてるだろうな……おい、なにしてるんだ」
若い同心はしゃがみこみ、地面に手をついてからだを殺された男に近づけている。男の顔から胸元にかけて、顔を寄せていた。
「おい、朧。朧蒼十朗」
そんな後輩の姿に兵衛は眉をしかめて名前を呼んだ。
「なにか、妙な匂いがするんですよ。甘いような香ばしいような」
朧蒼十朗と呼ばれた後輩は、顔を離すとぱんぱんと手についた土を払った。
「匂いだと?」
兵衛もしゃがんで死体に顔を寄せてみたが、血の匂いと、着物からしばらく洗ってなかった雑巾のような匂いしか感じられない。
「そんな匂いしやしねえぜ」
蒼十朗は眠たげな顔のままでにっこりした。
「私は鼻がいいんですよ」
死体を飯倉片町の番屋へ運び込ませると、兵衛は手下の小物たちに命じて、身元を当たらせた。
口元に目立つ大きなほくろがあったので、見つけやすいかもしれない。
番屋の老人が大きな湯呑みにお茶をいれて持ってきてくれた。兵衛はかまちに腰を下ろし、その湯呑みを両手で包んだ。
後輩の朧蒼十朗は兵衛の目の前で、死んだ男の特長などを書き記している。時々、あくびを隠すためか、右手が口元に向かった。
「いつまであくびしてんだよ、お前は日向の年寄り猫か」
「猫はかんべんしてくださいよ。私は猫より犬好きなんです」
「つっこむとこそこかよ」
「朝には弱いんですよ」
「もうじき昼じゃねえか!」
「日が落ちるまでは私には朝なんです」
蒼十朗は矢立てをしまうと兵衛のそばに戻ってきた。おいてあった湯呑みをとり、ふうふうと息を吹きかける。
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