明日の影

7/128
前へ
/128ページ
次へ
 化粧をする気力はない。眉はいつも調える程度にしている。メイクに頼ると素肌が荒れるのを恐れているため、普段から軽めのメイクですましている。だからスッピンをさらしても特に気にはならなかった。  窓の向こう側からシトシトと雨が地面に消えゆく音がする。窓から見える鬱蒼とした景色が彼女の身体をより重くした。  トーストだけの軽い食事をとり、薬を服用した。  ナナもいつもならご主人のご飯を甲高い声を出して催促するのに、今日はまだ眠いのか床に寝そべっている。    真っ赤なバンパーに白糸のように雨が降り注いでいる。その雨が街の音を掻き消し、単調なワイパーの音だけが耳の奥に突き刺さる。 「今日はやけに信号が長いなー」通学路の歩道を流れる色とりどりの傘たちを横目で見ながら、佳子はハンドルを指先で細かくタップし、苛立ちを露にしている。  どうして信号が青になにないの。前の車がちゃんとセンサーに関知されてないんじゃ……。  ふと、向かい側の信号機の足下に雨でびしょぬれになった花束に目がいく。佳子が毎朝視線を止めてしまう哀悼の花たちだ。  あれは残暑が一息ついたころ、一人の優秀な研修医が此処で事故に遭い亡くなった。佳子の勤める大学病院の後輩にあたり将来もかなり嘱望されていたと聞く。研修医になって半年。佳子は、まだ可能性のある若い芽が摘まれてしまったことに、少なからずショックを受けた。     
/128ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加