天秤

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 定年を迎え、家で過ごす時間が増えてからは、この奇妙な夢が一番の趣味になった。テラスで暖かい日差しを受けながら、ウトウトとまどろみを繰り返し、現実と夢の世界を行き来する。家族や友人には、もっと外へ出た方が良いとか、何か新しいことを始めた方が良いとか、心配されることも少なくはなかったが、私にとってはこれ以上ない贅沢な時間だった。  若き日の思い出に浸りながら余生を過ごす。もちろん、夢が見せるものは必ずしも良い思い出ばかりではない。しかし、それすらも自分にとって大切な財産であるのだと気付かせてくれるのだ。どうやら私の歩んで来た人生は、幸福と呼べるものだったらしい。今更ながらに、そんなことを思ったりもした。  夢の中の自分はどんどん若返り、腕白だった少年時代を迎えていた。車もろくに走っていないような古い田舎での生活。友人と共に泥まみれで外を駆け回り、家に帰れば優しい母と寡黙で厳格な父がいる。あの頃は分からなかったようなことも、今であれば理解ができる気がした。穏やかだった母の強さも、恐ろしかった父の愛情も。私が存在していたちっぽけな世界は、私が思っていたよりも遥かに、広く、高く、そして深いものだったのだ。
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