第一章 花杏盛りのあんもなか

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「いらっしゃいませ」 風鈴が鳴らされ、暖簾をかき分けて入ってくるお客さんにぺこりと頭を下げる。 「ちょっとちょっと、杏子ちゃん、何だその心のこもってない挨拶!!」 囁き声にして少し大きめな声で、店長の花さんが私に掴みかかった。 「え、そうですか?」 私としては、いつもと同じようにやっているつもりだった。 「もう…杏子ちゃんったら、ここ何日間ずっと心ここに在らずって感じじゃない?悩みがあるならお姉さんに話してみなって!」 店内を物色しているお客さんを横目で気にしながらも、店長はわくわくした様子で私にすり寄って来る。 ここは私のバイト先の和菓子屋さん、店長は小川花と言って、先月27になったばかりの女性職人、基本1人でこのお店を切り盛りしている。和菓子職人としての腕は高く、このお店のどのお菓子も本当に美味しくて、お客様からの評価も高い。 店内の装飾はシンプルではあるが、花さんのセンスがしっかり表わされていて、とてもおしゃれである。それにプラスして、長身で細身でな美人店長がいるおかげで、このお店は何度も雑誌に取り上げられ、この辺りでは有名店になっていた。 このお店から歩いて5分ほどのところに、私が通っている清釋大学がある。そのおかげで、女子大生のリピート客がとても多いのもこのお店の特徴の1つである。 大学時代は心理学を勉強していたという花さんは、人の顔から瞬間に人の感情を読み取れるというので、お客さんの顔を覗き込んで悩みとやらを聞き出して、私というアルバイトをこき使いながら、そのお客さんの悩みを解決していくのが花さんの最近の趣味である。 (私は小倉杏と言って、教育学部の1年生である。「小倉という苗字には、あんこが似合うでしょう」と、花さんからは「杏子ちゃん」と呼ばれている。) 「それで?杏子ちゃんの悩みはどんなことなの?」 私がお会計を済ましたのを見て、花さんはニヤと口の端を持ち上げて聞いてきた。 「だから、悩みなんてないって言ってるじゃないですか。」 「素直じゃないね。」 花さんはつまらなさそうに棚に入った胡桃のゆべしを並び直しながら言った。 私は特にそれ以上言い返す言葉が見つからず、無言でレジ周りを整頓し、エプロンを外した。 実際花さんの言う通りで、最近私には悩みとまではいかなくても、気がかりのことがあったのである。
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