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この角を曲がれば、マンションまであと少し。彼女は相変わらず遠くを見つめながら、自分に言い聞かせるかのように語る。その姿はカーブミラー越しに映った。
「まあ、結局答えは風の中って事なんだろうね」
そう言いながら、明日がある……といつもの調子で、陽気に歌い始める。二つの足音は、二人が暮らすマンションに着いたとき、初めて揃った。
僕は、分からなかった。いや、気づかなかったのだろうか。誰にだってそんな瞬間は時折訪れるものかもしれない。エレベーターの上りボタンに漫然と力を込めながら、まるで独り言のように自問自答を繰り返す。
エレベーターは少し時間を掛けて、四階から降りて来た。どうやら中には、ひとりの女性が乗っているようだ。髪は腰まで伸びていて、黒のワンピースから色白の肌が眩しく覗く。長い前髪が両目を覆い、その顔色は伺い知れない。
彼女が降りるのを待っていたが、不思議なことに、寄りかかる様にじっと隅に佇んで、動く様子が無い。
「降りなくて大丈夫ですか?」
葉子が恐る恐る尋ねる。
「お構いなく」
若い声だ、と思った。怪訝な表情を浮かべたまま二人は中に入り、四階と、閉じるボタンを順番に押した。
その瞬間――僕の体は突き飛ばされ、地面に打ち付けられた。
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