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「父上!ご無事で何よりです」
中庭に車椅子でやってきたクロード医師のところに、父親のティーゼルノット卿がやってくる。
「よし、よく来たな。早速手伝って貰うぞ。医院の壁に怪我人は城に来い、と張り出しておいた。存分に働いてくれ」
「ロッテ、ミーンフィールド卿とテオドールは?」
『今から行くところよ。連絡することは?』
「あの卿のことだ、大体のことはなんとかなるじゃろう」
『人手は足りてる?町医者達には連絡を回したから随時きてくれるけど』
中庭には既に怪我人が溢れかえっている。
「あの卿の忠告を受けて確認したが、やはり三つあるうちの井戸のすべてが水が銀色に染まっておった。しかし、先代の頃に作った水源地から直接引いた小さな水路だけが生きている。水もありったけ運ばせてある」
「僕達が手伝おう」
後ろからやってきたのは、背中に琴を括りつけた青年と、黒髪の異国の姫君だった。長い髪をまとめ上げ、動きやすいように装束の腕を襷掛けしているが、滲み出る威厳は隠しようもない。思わず、かつて騎士近習だった頃を思い出して深々と礼をしようとするクロード医師を止めて、入江姫は言う。
「そういった礼儀は無用じゃ。気にせずとも良い。医師殿、わかりやすいよう指示をくりゃれ。我の名前は入江。かつては一国の姫、今はこの城に助けられて住んでいる身じゃ。宿を借りておるのにこのような有事、見てるだけでは礼儀が立たぬ。何でもやってみせようぞ」
「僕は入江姫の付人の吟遊詩人、ベルモンテと申します。あなたの息子のテオドール君とも、その師匠のミーンフィールド卿とも面識があります。如何様にでもお使いください」
テオドールそっくりの真っ赤な髪が揺れる。
「そなたはあの童の父御か」
「あ、ああ、そうだが」
入江姫が微笑む。
「見所のある童じゃ。橘中将と共にここに向かっているときいて安堵しておる。さあ、指示を。我はかつて故郷を喪ったが、ここはまだ生きておるゆえに」
クロード医師が大きく息を吐く。
「………鳥達が器具を届けてくれる。だが先程の地震で全部床に落として汚れてしまった。一度熱湯で茹でてそこの台に並べて欲しい。厨房から器具は借りている。使えるか」
「入江姫、これをこう持つんだ」
ベルモンテが調理器具の持ち方を手に取って教えると、入江姫が素早く頷いた。
「相分かった。どんどん持ってくると良い。我の姿は目立つ故、鳥達もわかりやすかろう」
「ベルモンテ君、医療の心得は」
「多少の怪我なら自分で治していました。ひとり旅が長かったので」
「家具の倒壊の巻き添えの骨折者が多い。ゆえに添え木が足りないが、冬用の薪を貰ってきた。包帯や大きめの布は向こうにある。やり方はわかるかね」
「もちろん。すぐに処置します」
急ぎ足で二人が去っていく。それを見送り、ふとクロード医師がロッテにぽつりと言う。
「あの子は………思いの外、上手くやっているのだな。賓客の姫君や吟遊詩人にまで、名を知られているとは、思ってもいなかった」
ロッテが答える。
『お父様がテオドールをゴードンさん…そう、ミーンフィールド卿のところへ送り出してくれたのね。彼は厳しい師匠だけれど、私が知っている限り、誰よりも信頼できる人よ』
その言葉に呼応するかのように、微かに中庭に優しい風が吹く。
『………けれど、彼も、あの子が来てくれたおかげでとても助かっているわ。人間は鳥と違って、一人で生きていくのがとても難しい生き物だって私のご主人様も言っていたもの。彼を知る人は皆、それを感謝しているはず。……お父様、あなたのご子息は、本当に信頼できる子よ』
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