第8話 龍と鷲と「花の剣」

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 中庭に微かに、雷ではない音が響く。 「今のは………!?」  吟遊詩人ゆえに耳が良いベルモンテがはっと顔を上げたその時、庭にファルコが駆け込んでくる。 「入江姫はいるか?聞きたいことがある!」 「我はここじゃ。どうした、おぬしがそんなに焦った顔をしているとは珍しい」  入江姫がベルモンテに目配せする。そっとやってきた二人に、ファルコが囁いた。 「ドラゴンが、そうだ、龍が来る。狙いはこの城だ」 「なんだと」  入江姫が、器具の煮沸の手を思わず止める。 「どうすればいい。森の鳥達が慌てて飛んで来たが、弓も大砲も効かないらしい」 「魔法か、自然の力でなければ」 「……やっぱり、そうか、そういう生き物なんだな。銀の鎖を巻かれた、銀のドラゴンだ」 「………銀だと?我が知っている龍は、孔雀の如き美しい鱗を持つと聞く。………東の、帝国めが。我の島を、家族を焼いただけではなく、我の島の神獣までをも貶め、更には世話になったこの城まで狙うとは」  美しい顔を歪ませ、怒りを露わにする入江姫の肩を反射的に抱き寄せて、ベルモンテが囁く。 「大丈夫。気を強く持つんだ。僕らはここまでこれた。まだ、やれることがあるはず」  入江姫が、思わずぽろりと目の端から静かに涙を溢す。そこに、声がした。 「そうだよお姫様。気を落とさないで。来るのが遅くなっちゃってごめんよ。部屋は無事だったかい?」  鉄梃を手にし、全身あちこちに擦り傷や切り傷、煤まみれになり、息を切らしながらやってきたのはロビンだった。 「奥さんか。その傷にこの薬を塗りなさい。感染症には気を付けねば」  顔を上げたクロード医師が言う。 「ありがとうございます先生。もう負傷者はいないはず。けれど………」  ロビンが不安げに空を見上げる。騎士達が、次々と中庭の患者達を担架に乗せては運び出していく。 「何事かは知らんが、ついに、この城からも避難命令が出たのか。だが………難しい手術がある。頭を開かねばならん患者があと2名。動かせない」 「そうか。俺とアンジェリカ、オルフェーヴル、女王陛下は城に残る」  そこに、聞き慣れた声がする。 「森の大砲部隊もあと1時間が限界だ。遅くなったな、ファルコ。……テオドール、ここの中庭は二重に壁に囲まれている。空中から侵入されない限りは安全だ。何分持つかはわからないが、その柳の枝を庭に挿すんだ。柳の木が守ってくれる」 「はい。僕も中庭に残ります」 「頼んだぞ。父親と患者達を守ってくれ」 「テオか」 「父さん、大丈夫です。続けてください」 「………わかった」  入江姫が顔を上げる。そして、ベルモンテの腕の中でしばし黙った後に、静かに呟く。 「………我が舟よ」 「わかっているよ」  吟遊詩人の胸から離れ、襷を無言で締め直す。 「橘中将。我らも医師殿についておる。心配は無用。それと、龍は自然の力か魔法でなければ倒すことは出来ぬ。しかし神獣の命を奪えばそなたらも無事ではいられまい。そして、そなたら無しでこの国は決して立ちゆかぬ」  地面に刺した柳が淡く光る。それと同時に、腰に差していた「花の剣」が淡く光る。 「ゴードン、それは……」 「………母が、父の叙任の記念に贈った剣だと聞いている。多少の魔法が、かかっているのかもしれない」  幼い頃住んでいた、父親が不在の家の玄関先に、そんな少し寂しい家を守るように、柳の木が植えてあったことを思い出す。母が父と共に出向いたあの水源地の柳を枝分けして貰ったという、懐かしい木。 「自然の力か、魔法。それで多少の傷を負わすのは致し方あるまいことよ。あの忌々しい帝国の手から、我が島の龍を『解放』してくりゃれ」 「自然の力か、魔法か」  雷の音が近くなり、空が紅く染まる。ミーンフィールド卿が入江姫の前で深々と頭を下げる。 「貴殿の島の神獣を、少しばかり傷つけてしまうことを、赦して欲しい」  同じように、ファルコも頭を下げた。 「俺らは、この城を守らなきゃいけねえからな。ちょっとばかし荒っぽいことに、なるかもしれねえ」 「よかろう。我はそなたらを信じておるでの。さあ、頭を上げてくりゃれ。何でもおぬしらは知恵と策略では天下一品と聞いておる。それが揃うのにこうして間に合っておるのじゃ。吉報を待っておるぞ」  そんな二人に、ベルモンテもいつもと変わらない陽気な声で言う。 「君達のおかげで良い曲が出来るのを僕も楽しみに待つよ」 「はは、よしきたレパートリーをたっぷり増やしてやる。分け前は俺にも寄こせよ」  そんなことを言うファルコの隣で、ミーンフィールド卿はふと、ロビンが手にしていた鉄梃に目を留めた。 「………こんなこともあろうかと、実はローエンヘルム卿に新しい武器を頼んでいたんだが、この地震で間に合わなくってな。ロビン、それを貸して欲しい」 「………えっ、この鉄梃を?こんなのでいいの?」 「ああ。ちょうど良い。……自然と、魔法であればいいのなら、多少は考えがある。ついでに、あの銀の鎖を外すことさえ出来れば、筋は見えてくるだろう。しかし……どうすれば城に近づかれるよりも先に、ドラゴンの元へ辿り着けるのか、それだけだ。ここで、城に近ければ近いほど、守りたい者も守れなくなっていく。何としてでも、引き剥がしたい」  ファルコが、僅かに黙ってから、何かをやっと決意したかのように、静かに言った。 「……ゴードン、それなら俺がなんとかしてやる。バルコニーへ行くぞ。アンジェリカを呼んできてくれ。それと……エレーヌもだ」 「いい案があるのか」 「………これでも俺は国一番の魔法使いだ。試してみたいことがある。生まれて初めての大技だ。……うまくやれたら一杯奢れよ」  軽い口調の中に、隠しきれない緊張が聞いてとれる。 「我が館の地下で醸造した一番の葡萄酒を出してやろう」 「そうこなきゃな。じゃあちょっと行ってくる」 「テオドール、後は任せた。頼んだぞ」
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