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『ああ、本当に、ご主人様ったら……本当に、肝心なときにああなのよ。毎日、毎日、夢にまで見てたはずなのに……たった一瞬で総崩れよ。女王陛下には、やっぱり敵わないわ』
いつの間にか、跪く足元にやって来ていたロッテがまだ真っ赤に頬を染めたまま嘆く。
「跪いていたからな。残念ながら、じっくりとは見てはいない。そんな熱烈で情熱的なシーンは。そうか、そのように、美しい一時だったか。流石は我らが女王陛下。私もファルコも永遠に敵いはしないだろうが、私はその永遠をこの目で見る機会を逃してしまった」
『永遠、ね』
「………その美しい一時が、生命の全てを投げ出すに値するのも結構だが、それよりは、与えられたものに相応しいものをもたらして帰還するか、どうか。さて我が唯一無二のレディよ、どう思う?」
真っ赤に染まったままのロッテが、しばしの沈黙の後に、呟く。
『………私が唇を持っていたら、だけど、私、ああ、ちがうわ、そうじゃないわ。唇を持っていたとしても、きっと、きっと足りないわ。本当に、永遠のような一瞬だったけれど、もっと、もっとよ。ああ、私だったらこう言うわ。全てが欲しいって言うわ。何があってもよ!!』
小さな小鳥の、歌声のような魂からの言葉が、耳元で熱く弾ける。
「そうでなければ」
肩の上のロッテを傷跡の特徴的な何時もの頬に、羽根の感触を感じるほど近く掌で抱き寄せ、珍しくミーンフィールド卿が愉快そうに笑いを溢す。
「そうだ。人生とはこうも熱く、美しく、そして愉しみに満ちている。今も、これからも」
『ご主人様を頼むわね。五分五分なんて気弱なこと言ってるから、たった今みたいな肝心なときに肝心なものをぜーんぶ持って行かれちゃうのよ!』
「間違いないな。私も肝に銘じねばならん」
やっとの事で顔をあげたファルコが、溜息にも呻き声にも似た声で、呟く。
「………手厳しいな、お前らってやつは」
『当たり前じゃないの。ところで、もしもご主人様が「大魔法使い」になったらやってもらいたいことがある、って私言ってたわよね?忘れたとは言わせないわよ。とっとと帰ってきて約束を果たしてちょうだい』
「…………そうだった。ああ、そうだったな。相変わらずお前らは俺をこき使う。おちおち死んでもいられねえ」
「私の大事な女王陛下を結婚前に未亡人にする気なら、この風で今すぐ粉々に五体粉砕してやるからそのつもりでいなよ」
アンジェリカが薬箱を床に降ろす。
『あらアンジェリカさん。ご主人様はあんな体たらくなので三体くらいまでなら粉砕されてもしょうがないとは思いますけど、ミーンフィールド卿は取って置いてくれます?』
「………ロッテ、やっぱりあんたも面倒な恋してるクチかい。ああ、オルフェーヴル、私は今日ほどあんたを選んで良かったって思った日はないよ。あんたを好きになってなかったら、この面倒な男共を今すぐ木っ端微塵にしてたに違いないからね」
そして、言った。
「やりな、ファルコ。あんたの中ではもう答えは決まっているだろう。やれないとは言わせない。帰ってこないとも言わせない。このお代は高く付くよ!!!」
拳と拳をがつん、と鳴らして、アンジェリカが立ち上がる。
「応とも。ゴードン、背中は任せた。そもそも帝国の野郎共、人様の家から盗んだドラゴンで城攻めだなんて、ルール違反にも程がある。礼儀作法ってやつを教えてやるぞ、俺ら流のな!……それとエレーヌ!!」
「………何かしら」
「吉報を待ってろ。『続き』はそれからだ」
「いいわ。待っててあげる。でも、私、待つのは人生でこれきりよ、わかった?」
「もちろんだ。この俺が、惚れた女を二度も待たせると思うか!」
ファルコが着古したローブを脱ぎ捨てて放り投げ、髪をほどき、大きく息を吸う。赤く染まり迫り来る雷鳴を弾き返すように、金色の光がバルコニーを満たしていく。オルフェーヴルの手からカーテンのタッセルを受け取り、ミーンフィールド卿が、抜き身の『花の剣』を手にし、自分の愛用の剣をバルコニーに静かに置き、代わりに腰に鉄梃を差して言う。
「礼儀作法、成る程、実に良い言葉だな。……宜しい。『歓待』の時間だ」
バルコニーに燦めく金色の光がゆるやかに収束し、輝く蜜色にも似た茶色の羽根に、黒く鋭い嘴と爪、金色に鋭く輝く瞳の大きな鷲の姿に変化した『鳥の魔法使い』が、静かに腰を落とす。革の手袋を嵌め、手綱替わりのタッセルを手に、ミーンフィールド卿が言う。
「お前と冒険をするのは何年ぶりだったかな」
大鷲が答える。
『昔取った杵柄ってやつを久々に発揮しにいくだけの話だろ?しっかり掴まってろよ。お前の森までおびき寄せてやる』
「あまり高度を上げるな。雷に打たれかねない。だが、一度はドラゴンの背に私を降ろせ。策がある」
『了解。紅い空が近い。雷も来た。もう大砲の音もしねえ。アンジェリカ、ドラゴンが見えたら、それが合図だ。俺らを飛ばしたら、バルコニーから室内へ待避してくれ』
タッセルを咥え、ファルコが翼を大きく広げる。
「わかった。………ゴードン、頭を下げな。全力で飛ばしてやる」
「二人とも、気を付けて。いや、違う、ご武運を、かな。城は、任されたよ」
ひらりと女王陛下の肩の上にとまったロッテが言う。
『………ゴードンさん、いいえ、ミーンフィールド卿、私の、大事な友達、大好きな騎士様。帰ってきたら、私なりに、もう一度永遠を、見せてあげるわ。約束よ』
顔に大きな傷のある壮年の騎士が、鷲の背の上で静かに微笑んだ。
「………何と愉しみなことか、我がレディ。私は森で長らく独り生きていたが、そなたの白い羽根が窓辺で舞うようになってから、生きるというのが愉しくなった。今も、これからも。そなたがくれると言う永遠、必ずこの手で受け取ろう」
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