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階段からテオドールが手を引いて降りてきた女性を見て、車椅子のクロード医師がぎょっとして思わず背筋を伸ばす。
「女王陛下」
「はじめまして、クロード卿。お話は伺っています」
「いや、私は『卿』などという身分では………」
「いいえ。あなたのことは第一席と第二席から聞いていましたもの。ローエンヘルム卿はこう言いました。『絶対に来てくれる』と」
「………」
「私の国の民を最後まで見放さずに治療してくれて、本当にありがとう。それと、レディ・アーゼンベルガー」
生まれて初めて『レディ』と呼ばれた家具職人の未亡人が、一瞬自分のことだと気づかずに左右を見てから、数秒の空白の後に仰天して思わずその場で頭を垂れる。
「職人用の鉄梃を担いで街中を走り回って、何人も、倒れた家具や潰れた家から怪我人を助けてくれた女性がいる、と避難民達から聞きました。あなたでしょう?入江姫から聞いていたから、すぐに誰のことだかわかったのです。さあ、顔を上げて」
「は、はい」
「入江姫、ベルモンテ、本当にありがとう。大切なお客様に働かせてしまったわ」
二人が顔を見合わせ、微笑む。
「その働き分に相応しい経験ができた。器具をああして茹でるだけで怪我人が助かるとは、相知らぬことであった。島に教えたい。医師殿に教えをもっと請うておかねば」
「僕もまた、働き分に相応しい曲が出来そうでして。女王陛下のおかげです」
「中庭からバルコニーが見えることをすっかり忘れていたわ。レパートリー、どうしようかしら。何年も、何年も、隠してきたのに私」
「つまりプライバシーに配慮を、と」
女王陛下が笑いを零す。
「そうね、まだあともう少しの間、内緒にしておきたいわ。でも……いつか遠い島で、私の想いが美しい歌になって歌われているのを想像したら、きっとそれは悪くはないと、思っています」
「女王陛下。僕は中庭で、決めたんです。僕もまた、いつかは姫と共に海をまた渡ろう、と。そして僕は姫に誓っています。『悲しい歌は歌わない』と」
窓の外を鷲に姿を変えて飛んでいった魔法使いを、誰よりも心配しているのは他ならぬこの女王陛下のはずなのに、心配顔ひとつ見せなかった女王陛下が、少しだけ睫を揺らす。
「そう、悲しい歌ひとつ、決して歌うことなく」
「……ありがとう、私のお城の吟遊詩人。あなた達が生き延びてこの城まで来てくれなかったら、きっとこの国も、私達も、城下の皆も、無事ではなかった。さあ、あと少しだけの辛抱です。もう少し安全な場所に行きましょう。それとクロード卿」
「はい」
「身重の女性がいます。万が一に備えて、できれば来て欲しいのですが」
「かしこまりました」
「厨房の真下に、ワインセラーがあります。他の皆はそこへ。地下の方が安全でしょう」
「父さんは僕が運びます。皆さん、避難しててください」
そんなテオドールに、入江姫が言った。
「ふふ、そうじゃなあ。テオドール、柳の童よ。先程の礼じゃ。持っていくがよい」
入江姫が、襷の代わりに使っていたらしい、刺繍が入った細い帯をほどいて渡す。
「折れてしまった大事な枝の代わりじゃ。この文様は柳紋という。帯や守り袋によく綴られる、縁起のよいものぞ。もう随分と古びてしまったが」
白い帯に白い糸でさりげなく、そして柔らかく縫われている異国の文様。
「………ありがとうございます!」
深々と胸に手を当てて礼をするテオドールの赤い髪の毛を、童にするように撫でる。
「きっとこうして頭を撫でてやるのはこれが最後じゃな。おぬしはもう、立派な大人ゆえに」
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