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「御簾台を?」
「カーテンがあって床が高い。出産場所に借りたいって。予定だと、あと数日は大丈夫だったはずって言ってたんだけど、この騒ぎで、今夜になりそうだって」
「何と……」
地下に駆け込んできたテオドールが言う。
「ありったけのお湯を沸かして、清潔な布を用意してください!」
「布ならまだ裁縫室と厨房にある。僕が手伝うよ」
「………出産の介添えなら、昔、一度だけ経験がある。館の侍女が急に産気づいた時に。女大将殿には我が付き添おう。暖炉に火を。中庭に薪が積んであったはず。母君と赤子が冷えては命に関わる」
「私、お湯を沸かしてくる。厨房の竈は無事?」
「無事です。僕はちょっと馬を借りて、避難所に他に手が空いているお医者様がいないか探してきます!」
地下室にやってきて、息を切らしながらも、それでもあっという間に走り去っていったテオドールを見て、
「………テオドールも、クロード先生も、そろそろ休ませてあげないと……」
ロビンが心配げに呟く。遠くから、嵐と雷、そして大砲の尋常ではない轟音が微かに響く。
「………あちらも佳境か」
「ここまで死者を出さずに来たんだ。僕らが頑張らないと。さあ、あと少しだ」
「相分かった」
中庭から薪を抱えた入江姫が、呟く。
「何も出来ぬまま、我はここに来た。今では、そうではない」
悪夢のように全てを喪った日から、もう何日が過ぎているのだろう。遠い島の美しい調度品に囲まれた館の御簾の後ろに腰掛けて、この吟遊詩人が語る異国の話に耳を傾けていた、そんな穏やかな日々がもう何十年も遠く感じる。本来ならば、歩くことも走ることも多くはないまま、島に住まう一人の姫君として終えるはずだった一生。
森であの不思議な騎士に助けられ、この城までやってきて、今こうして薪を抱えて階段を走っている。何もかもが、丸で想像もしていなかったことだ。
(天は、運命は、我らを何度も振り回す。しかしまだ、我らを見放してはおらぬ)
すっかり歩き慣れたカールベルク城の廊下を駆け抜けて、入江姫が御簾台のある自分達の部屋へ飛び込んだ。
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