第10話 帰還

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 はっと目を覚ます。ベッドの足元に何かがいる感触。連れて帰ってきた龍だ、と思い出すまでに少し時間を要してから、何度も目を瞬かせようとして、と片目が動かない事に気付く。背中と腕と脚と顔の片側に湿布や包帯が巻かれ、胴体ががっちりと固定されている。  カールベルク城のどこか一室なのだろう。胴体が動かせないが、微かに見知った感覚がある。中庭の香りだ。どうやら1階らしい。換気のためか、窓が開いていて、枕元の机に小さな花々が添えられている。 「ここは……」  花に聞こうにも、口の中が乾いて声が出ない。おそらく、大砲台の上であのまま気を失ったのだろう。一体何日経っているのか、皆目見当も付かない。  ファルコはどうしているのか、アンジェリカは無事なのか、オルフェーブルや入江姫達、そして女王陛下に報告することも山のようにあるはずだ。  開いた窓から赤子の泣き声が微かに聞こえ、それをあやすような優しい琴の音色が響く。城の修繕だろうか、職人達らしき野太い声が、よく知るパイプの煙の香りと共に鍛冶場から2階へと行き来する。 (…………すべて世はこともなし、か)  怒濤のような日は過ぎて、ただただ静かな部屋で、目を閉じる。聞き慣れた羽音が窓辺に響き、いつもの癖でふと人差し指を動かす。ふと、眠っていた間に不思議な夢を見たことを思い出しながら、枯れた声で言う。 「………おはよう、ロッテ」 『ゴードンさん!?』  驚いた小鳥が、摘んできた花を取り落とす。 「何日……眠っていたのか皆目、見当もつかない」 『ま、ま、待っててちょうだい、すぐにお医者様とテオドールを呼んでくるわ!!!』  しばらくして、ばたばたと勢いよく階段を誰かが駆け下りてくる音が響き、勢いよくドアが開かれた。 「お師匠様!!!」  テオドールである。その後ろから、片脚に臨時の木製の義足を嵌めた外科医が歩いてくる。 「よくあの状態で帰還できたものだ」 「もう5日間も寝ていたんですよ!大手術だったんです。目とか、脚とか、もう、数えきれないくらい……」 「……5日間か」 「ちなみにファルコさんは3日間です。腕や背中にすごい数の雹や枝が刺さってて、そっちも大変だったんです」 「何か、欲しいものは」 「水が欲しい」 「僕、汲んできます!」  テオドールが飛び出していく。 「ゆっくり飲むように。内臓は無事だと看ているが、念のため」 「ご助力に感謝します、クロード殿」 「こちらこそ、何と言えばいいのか分かりませんが……」  クロード医師が、ミーンフィールド卿の上体を起こして、呟く。 「良きご子息だ。この緊急時、彼がいてくれてどれほど助かったか」  ひょこっとベッドの下から龍が顔を出す。 「これが………龍ですかな。異国の姫君が言っておりましたが」 「懐かれてしまった。城を襲ったドラゴンとは別物のようなものだ」  水を大きなお椀に入れて持ってきたテオドールに、ゆっくりと腕を上げてそれを受け取る。身体の調子を確かめ、強烈な渇きを癒やすためにゆっくりと水を飲んで、やっとの事で息を吐く。 「……日々の鍛錬は独りで行ってはいたが、テオドールが修行に来ていなかったら、こうも早急かつ本格的な対応は不可能だっただろう。こんな有様だが何とか生還できたのは、森での鍛錬があったからだ。感謝している」 「お師匠様」 「皆は」 「これから来ると思います」  勢いよくドアが開き、やって来たのはアンジェリカだった。ドアは蹴り開けたらしく、両腕には双子の赤子を抱えている。 「まったくこのボンクラいつまで寝てんのさ!うちの子達なんて夜になっても寝てくれないっていうのに……」 「無事に産まれたか。バルコニーでは無茶をさせたな。詫びねばと思っていたところだ」 「出産費用とお祝い金と託児所の建設費、あんたとファルコの俸給から差っ引いておくからそれでチャラにしてやるよ」 「結構。それにしても双子だったとは気付かなかった。名前は?」 「こっちの女の子が『リベラ』、こっちの男の子が『バウム』」 「『翼』と『樹』か。顔をよく見てみたい」  アンジェリカがしゃがんで、双子の顔をミーンフィールド卿に見せながら、言った。 「……あんたの薬箱、あれのおかげで大分助かったよ」 「結構。大量に煎じた甲斐があったというものだ」  そこにオルフェーヴルに支えられたファルコが松葉杖をついて入ってくる。 「起きるのが遅かったな。ロッテに謝っておけよ」  枕元の小さな花々は、ロッテが毎日摘んできてくれたものらしい。 「お前こそ女王陛下の政務を3日ほど止めただろう」 「………なんで寝てたくせにわかるんだよ。アンジェリカ、お前」 「私まだ何も言ってないよ。さすがはデキるボンクラ、察しが良いね!」  オルフェーヴルがくつくつと笑う。 「おかげでこんなに忙しい一週間は流石に人生で初めてだったよ。兄が来てくれていて大分助かったけれど」 「兄君には森では随分世話になったな。おかげで城に帰ってこれた。礼を言わねば」 「いい土産話が出来たって皆が口を揃えて言っていたよ。アルティス王がカンタブリア領主へ城下町の救援要請を出したって聞いて昨日帰ってしまったけど、くれぐれも宜しく、と。落ち着いたら今度はゆっくりと遊びに来たいって」  アンジェリカが言った。 「それと、噂が噂を呼んだのか、魔法使いとしてこのお城に勤めたいって希望者が増えたんだ。今や『大魔法使い』がいるのはここと帝国くらいだしね。……それと、こっちはあんたにはもっと大事な話だ。第一席と第二席が隠居するって言い出してね」 「………そうか。で、何故に私にそれが」 「帝国のドラゴンを倒した男が第一席でおかしいことはないよ。君が眠っている間に騎士団満場一致で決まったんだ。どの道、君が起きてたって結果は変わらなかったと思うしね。陛下から許可も頂いたよ」 「………いや、だがそれは」  珍しく言い淀むミーンフィールド卿に、アンジェリカがにんまりと笑う。 「で、私は女王陛下付き魔法使い。つまり有象無象の魔法使い志願者共を『鍛える』側に回ったってわけさ。ああ、腕が鳴るね!早くあの剣が持てるようになりたいもんだよ」 「……成る程、どうも私が知る『鍛える』の概念とは少々異なっているようだが、まあこれも致し方あるまい」 「ついでに、どこぞのトンチキ大魔法使い様とやらが仕事さぼって我らが麗しき女王陛下の部屋に忍び込んだりしないように見張る役だよ!」 「で、僕は第二席。ドラゴンを倒した第一席たる騎士殿が仕事をさぼって土いじりや庭いじりや森の散策に出かけてはしばらく帰ってこない、なんてことがあっても困るからね!」  オルフェーヴルの肩の上のガエターノまでもが、ウンウンと頷いて胸を膨らませ、まだ幼い双子達がキャッキャと笑いだす。 「家族円満も程々にしてくれよ、お前らときたら!」 「言っただろう。我々の信用の無さは折り紙付きだ」  まだ顔に赤さが残る小さな双子を撫でてやりながら、ミーンフィールド卿が苦笑する。 「というわけで、2席分空くから街の復興が落ち着いたら騎士団の壮行試合だよ。君はどっかりと座っているだけでいいけれど、近習が騎士に最短で任命されるコースだ。テオドール君が頑張る番だね」 「修行の途中でこの騒ぎだ。ティーゼルノット卿は何と言うだろうか」  クロード医師が言う。 「息子は随分と逞しくなりましたよ。私も、父も驚くくらいに。だから……言ってやりました。騎士になったら、我が家での刺繍を許可する、と」  ミーンフィールド卿が微笑む。 「とても喜ばしいことだ。テオドールには才能と、それに相応しい勇気がある。新たに騎士を任命するのは騎士団第一席の仕事のひとつ。待っていよう」  ドアの外に控えていたテオドールがぐっと拳を握り、顔を上げ、そして、息を吐く。  ある日突然、無理やりあの森に送られてからもう何年以上も過ぎているような気がしてならない。橘の木を眺めていたら突如現れた『お師匠様』。とうとうこの国の最高位の騎士になるという。  祖父は第二席、父とて優秀な外科医である。自分には、それに見合った働きが出来て、それに相応しい地位も得られるのだろうか。  思わず足音を立てずにその場を離れ、テオドールは城を抜け出すとひとり、城下町の方へぼんやりと歩き出した。
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