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気が付くと自宅の方へと歩いていたらしい。テオドールが少し傾いてきた空を見上げて、大きく溜息をつく。
元々臆病な性格だった。中庭に雷が落ちてきた時も、必死すぎてもう二度とあんなことは出来ない、そんな気さえしてくる。何よりも夢見ていたはずの刺繍すら許して貰ったのに、心は何でこんなに沈んでいるんだろう。
ふと、幼い頃からずっと聞き覚えのある歌声が風に乗って耳に届く。ふらり、と引き寄せられるように歩き出したテオドールが、足を止めた。
無人だったはずの工房の窓のカーテンが揺れ、窓際の机に置かれた糸車を、ロビンが鼻歌を歌いながら回し、糸を紡いでいる。
幼い頃からすっかり見慣れていたはずのこの『奥様』の、どこか幸せそうな、丸で夢見るような表情を浮かべながら、糸車をくるり、くるりと回す横顔を、夕焼けが静かに照らす。紡がれる白い糸が、暮れる日の光を浴びて金色に光る。
美しいもの、というのはこんなにも身近に、ずっと存在していたのか、とテオドールはその場でしばし立ち尽くす。
(………そうだ。僕は、約束したんだ)
自分にはまだ、果たすべき約束がある。
ティーゼルノット家の庭には祖父の代からの剣の練習場がある。そのまま静かに踵を返し、テオドールは早足で、森に送り出されたあの日以来久しぶりに、自分の家の方へと向かっていった。
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