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最終話 満月の夜と、その後の話
女王陛下が、夕暮れの執務室の窓辺に寄って、城下町を見下ろす。
あれから3か月。元通りになりつつある街を見下ろして、そして、手にしている、明日の壮行試合の参加者のリストに視線を落とす。
第1席に就任したミーンフィールド卿は、明日当日に城へ越してくるという。森の館からは荷物が既に中庭の横の部屋に運び込まれ、近習のテオドールが稽古の合間にそれらを整理している。日が傾き、街に明かりが灯りだす。そこに、コツコツ、と窓を叩く音がした。
「開けてくれ、エレーヌ!」
何故か縄梯子を持って、斜め上の部屋から執務室の窓に降りてきたのは、ファルコだった。
「ここからじゃねえとアンジェリカに見つかるんだ。今はあの双子の食事中で託児室にいる。そんなことより、お前に、そうだ、ほかならぬお前に、頼みがある」
この城で自分をファーストネームで呼んでくれるのは、この『大魔法使い』として他国にも名を知られる『鳥の魔法使い』ファルコだけである。
「どうしたの。何か緊急の用なの!?」
ファルコが、窓を開けて執務室に飛び降りて、言った。
「一番良い8頭立ての馬車と、御者の服と、最高のドレスを、内密で一晩だけ貸してくれ」
「何ですって!?」
丸で想像もしていなかった要請を前に、女王陛下が思わず素っ頓狂な声を上げる。
「ゴードンのやつ、どうせ壮行試合ギリギリまであの住み慣れた森の館で、満月見ながらひとり酒でも傾けてやがるに違いねえが、そうは問屋が卸さねえぞ。一度ぎゃふんって言わせてやろうと長年思っていたんだ。それで、テオドールを呼んだ」
縄梯子から、次に女王陛下の執務室に転がり落ちる様に入ってきたのは、テオドールだった。
「じょ、女王陛下。こんな時間に大変失礼します。折り入って、僕からも、ご相談があって」
「明日の試合のことかしら」
「いいえ、ずっと、叶えてあげたい願いがありました。そこでファルコさんに相談したんですが……」
「叶えてあげたい願い?」
窓の外から声がする。
「あら、すごいわ! もうすっかり暗いのに、街の様子がこんなにもよく見えるなんて……」
聞き慣れた声だが、どうも様子が違う。思わずエレーヌが窓から外を見て、言葉を失った。
「俺とロッテは約束したんだ。『いつか俺が最高の魔法使いになったら、お前を人間の女の子にしてやる』……理由は、わかるな?」
「……ええ、もちろんよ」
「話が速くて助かるぜ。もちろん、時間制限はある。満月の夜、たった一晩だ。明日の朝には元通りだがな」
「すぐに手配するわ。テオドール、衣裳部屋へ続いている裁縫室の皆はもう帰ったはず。手伝ってくれる?ファルコ、8頭立ての白い馬車は城の東の倉庫よ」
「よしきた。すぐに出してくる」
「馬の繋げ方なら知ってます。森の道も慣れているので、僕が御者をやります。送って、降ろして、直ぐに帰ってきます。明日は試合があるので、僕も早く帰ってこないと。つまりは、そういうことですよね」
「頼もしいわ。あなたも随分タフになったのね」
「光栄です!僕もずっと、ロッテとお師匠様のことが、気にかかってて……」
女王陛下が微笑む。
「彼は、ロッテがどんな姿でも愛することでしょう。だから心配はいらないわ。けれど、ロッテにだって、夢はあるわ。それは、『魔法でもなければ』叶わない夢。ファルコは、とうとう、そんな乙女の夢を叶える力を持つことが出来たのね………」
そして窓を開けて手を伸ばす。
「さあ、こちらに来て、私のお城の小さなレディ。とうとう、夢を叶えにいくのね。一番素敵なドレスを選んであげるわ」
女王陛下が窓の縄梯子から『小鳥の様に』身軽に部屋へ飛び降りてきた、真っ白な肌に赤い瞳の、ファルコとよく似た銀髪の少女を思わず抱きしめる。
「女王陛下。私……」
「そうね、私だってゴードンをぎゃふんって言わせてみたいって言われるとちょっと心が躍るわね。たっぷり、驚かせてきなさい。……大丈夫、彼はあなたがどんな姿をしていても、あなたを愛しているわ。でも、女の子は我儘でいいの。あなたがずっと夢見ていたように、綺麗なドレスを着て、とびっきり素敵な馬車に乗って、誰よりも愛している人に会いに行くことだって、許されるのよ。さあ、こっちよ。まずはドレスを選ぶわ。御者の服もあるから、テオドール、準備を頼むわね」
「かしこまりました!」
「頬紅と口紅、髪飾りも貸してあげる。ああ、嬉しいわ、なんだか妹が出来たみたい!」
女王陛下が、執務室の片隅にあるドレッサーを片っ端から開けて、化粧道具を抱え込み、ロッテの手を引いて、人気の少なくなった廊下を駆け出した。
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