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「………そう、姫よ、この私が、安全にお連れいたそう。この島では『クチナシ』の花が咲いているが……そなたの行く先でもきっと花が実ることであろう」
この島に咲くクチナシという花には、『言葉は無用』という意味があるらしい。恋人同士の恋文でよく使われる、西の国のそれよりも婉曲で優美な、この島独自の花言葉。祈るような気持ちで、初めて見る姫君の瞳を食い入るように見つめる。
黒真珠の様な瞳が、自分を見つめ返す。見惚れるほどに美しい。見惚れる時間も場所もまるで今この瞬間に相応しくないことがなんと呪わしいことか。
ほんの束の間、互いの視線が深く深く交差する。入江姫が息を吐く。衣服の乱れを直し、部屋の端に転がっていたこの国独特の形の竪琴を静かに手に取った。そして、吟遊詩人の青い瞳を見て、数秒の間逡巡して後、問いかける。
「これは、要るであろうか」
離れから駆けてきた時に、愛用の竪琴は置いてきてしまった。もう二度と手に取ることはできないだろう。吟遊詩人の魂とも言える竪琴を手放してしまうとは。だが、それと引き換えにしてでも守りたいものが、目の前にある。
「………その琴を奏でる『詩人』が、道中そなたの心を安らげることであろう。安心なされよ」
入谷姫が目を閉じた。琴を胸に抱きしめるように抱え、呟く。
「『伝令』とやら。我の望む場所へ、連れて行ってたもれ」
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