第1話 梔子と橘の話

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 そして、己の吟遊詩人を、コップ越しに静かに見つめる。嵐のように突如襲い掛かってきた不幸を生き延び、しかしそれ故に、幸せになるのを躊躇う瞳だ。 『………私、あなた達に会えて嬉しいわ。私をお姫様って呼んでくれたの、あなた達がはじめてだもの………』  ロッテがそっと、そんな姫君の掌に頬をすり寄せた。  食事でもてなされ、ワインを口にし、身体を休めるうちにうつらうつらと寝入ってしまった姫君を寝台に運び、ベルモンテは傍らの長椅子に腰掛ける。一見仲睦まじい恋人同士に見えるが、一度も『触れていない』のだろう。吟遊詩人という生業には珍しいほどに律儀な青年だ。異国の姫君を大事に、大事に守りながら、ようやくこの森まで辿り着いたらしい。 「君のご主人に感謝しないと」  恋、と呼ぶには少しばかり熱く、それよりもなお深く優しい視線で、久々の暖かい寝台で静かに眠る姫君を見つめながら異国の竪琴を手入れしている青年の傍らで、ロッテは言う。 『ご主人ってわけじゃないの。私のご主人様はお城にいて、彼は友達。頼もしいでしょ』  ドアが静かに開き、当の男が静かに入ってきた。姫の寝台から離れた入口脇の小さなテーブルに、手にしていた飲み物をそっと並べる。 「飲み物を用意した。この森自慢の蜂蜜も入っている」     
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