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異国の姫君のために心をこめて造りあげた、その小さな文机の表面には、知古の職人から譲って貰ったきらきらと光る小さな貝の欠片が花柄に埋め込まれている。机の脚には蝶番をつけておいた。これでどこにでも持ち運びやすくなるだろう。
「これで良し、と」
大工作業は久々であり、多少時間はかかったが、まだまだ腕は衰えていなかったらしい。ロビン・アーゼンベルガー、大工の棟梁の未亡人が満足そうに息を吐く。
(折りたためるっていうのはいいね。お城に持っていきやすいしさ)
工房にあった大きな蝋引きの布でテーブルを丁寧に包む。
工房のドアをノックする音。
「開いてるよ!」
声を投げかけると、
「おはようございます、ロビンさん」
入ってきたのはテオドールだった。
「ちょうどいいところに来てくれたね。運ぶの、手伝ってくれる?」
「はい。馬に積んでいきましょう」
「お師匠さんは?」
「ちょっと忙しいことがあって、まだお城にいます。今日の昼過ぎには街を出る予定で……」
「また遊びにおいでよ。糸車、出しておいてあげるから」
「は、はい!」
心の騒ぐ話を聞いた後に、彼女の変わらない陽気な声を聞くと、何だか余計な肩の力が抜けるような気がする。布にくるまれたテーブルを抱え上げて、馬の荷台に積み込み、
「ロビンさんも、こちらです」
女性用の横付けの鞍に、彼女を案内する。
「馬に乗るのって何年ぶりかなあ。しかも横付けの女性用の鞍なんて初めてだよ」
「き、きちんとエスコートします。大丈夫です」
「ぼっちゃんもすっかり騎士らしくなったもんだねえ。まだ近習なんだっけ? ほら、私で練習していきな。あんたが立派な騎士になる日がきたら、近所中に自慢しなきゃね」
自分の母親よりはほんの少し年下の、ほがらかさと寂しさが心のうちに同居するこの旧知の大工の未亡人の手を取って、鞍へとエスコートする。
「………僕は、立派になれるでしょうか」
「なれるよ。ぼっちゃん、あんたは、人に恵まれているもの。素敵なお師匠様に、素敵なお城、おじいさまだってまだまだ矍鑠としていらっしゃる。それに……そうだねえ」
ロビンが視線を空の上に投げる。丸で空の上にいる夫に何かを問い、その答えを待つかのように。
その一瞬の空白が、なんと切ないのだろう。そして、何故に切ないのか、自分でもよくわからない。そして、しばらくの沈黙の後に、ロビンが言った。
「あとは、愛かなあ。好きな人がいなきゃ、家具を作ったって楽しくない。そう思って、工房を閉じたのに、不思議なもんだね」
異国から落ち延びてきた姫君のために、家具を作ってほしいと頼んできた少年が、呟く。
「これからも、いっぱい、頼むことになるでしょう」
少しだけその言い回しが、この少年の師匠らしいあの厳めしいミーンフィールド卿のそれに似ている。
「あのお姫様にぴったりの家具を作れるのはきっと、ロビンさんだけなんじゃないかと、僕は思います」
異国から、吟遊詩人の男と共に落ち延びてきた姫君。深く深く愛し合っているのに、愛し合っているがゆえに、触れ合ったことはないという。テオドールとて少年ながらも、昨夜の会話の端々に出てきていたその言葉の意味は理解していた。理解はしても理由はわからなかったあれやこれやも、きちんと騎士になった日には理解できるのかもしれない。騎士とは、美しい貴婦人に奉仕するものなのだから。
「ありがとう。最高の仕事を紹介してくれて」
「僕に出来ることなら、なんでも」
思春期の少年独特の背伸びした言い回し。馬の蹄が石畳を鳴らす。馬を引きながら、テオドールは城下町の美しさを堪能する。森も好きだが、この街も好きだ。しかし、昨日聞いた不穏な言葉の数々が頭をよぎる。
剣よりも刺繍が好きであっても、あの言葉の数々が本当ならば、針は後回しになる日が来る。そしてその日こそ、この城下町の美しさを守る日になるのだろう。その中には、若々しく美しい国王陛下だけでなく、その傍らの魔法使い、深く愛し合う姫君と吟遊詩人、明るく親切な未亡人なども含まれていることを、心に刻んでおかねばならないのだ。
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