第5話 銀の鎖と柳の木

8/8

22人が本棚に入れています
本棚に追加
/138ページ
 見知った街道を通り、見知った森へと戻る。ミーンフィールド卿が夕暮れの光を背に、馬から降りながら言った。 「………母は遺言で『この森中に、灰を撒いてくれ』と言い残した。つまり、ここは我が母の森だ。水源の森も気に入っていたようだが、私のことを考えたのだろう。魔法使いであり、騎士でもある私が住める、騎士の使命にとっても重要な国境の守りを、私に託したわけだ」 「お母さまが……」  カールベルクの郊外で療養している体の弱い母に、今日のことをいっぱい手紙にしたためてみよう、と思いながら、テオドールも馬から降りる。 「今日、初めて樹や花の声を聴きました。なんて言ってるかは、わからなかったけれど」 「世界には時折ああいう、力ある樹が存在する。その枝を大事にするように。世界にはああいった、不可思議で優しく、力ある者がいる。そうでないものも、時には。………騎士としては、竜退治などという名誉を担えるまたとない機会ではあるが、入江姫の島の祠で眠っていた卵も、ああいった不可思議で力ある者なのだろう」 「……はい」 「木々や花々と語るだけのささやかな力であっても、魔法使いである以上、不可思議で力ある者は敬わねばならない、と教わってきた。難題だな。テオドール、君が、騎士で芸術家であるのと同じように」 「げ、芸術家だなんてそんな、僕、そ、そんな大袈裟なものじゃないです、ちょ、ちょっと、刺繍が好きなだけで……」  ミーンフィールド卿が館の扉を開けて、明かりを着け、静かに微笑む。 「あの水源地の大樹の声を聴くことができるのは、魔法使いか芸術家だけだ。あの大樹は君の心の中にある本質の一つを、間違いなく見抜いたのだろう」  思わず手にしていた柳の枝を握りしめる。ふと心が温かくなった気がして、何故か、目の端からぽろりと一粒涙がこぼれ落ちる。慌てて服の袖でそれを拭って、背筋を伸ばしてテオドールは言った。 「………はい、頑張ります。もちろん、騎士の修行もだけど」 「よろしい」  ぽんぽん、と己の近習のくしゃくしゃの赤毛を二回撫でて、ミーンフィールド卿は館の階段を上がっていく。 「給水器の水もそろそろ切れる頃合いだったな」 「僕、汲んできます」 「ランプを井戸に落とさないように。枝は君の部屋に置いておこう。夕食はパンと蜂蜜の残りがあるが、良かったかね」 「はい!」  枝を渡して、ランプを受け取り、テオドールは階段を駆け下りる。夜の帳が静かに降りてくる夕暮れ時の、いつもの森。この森の樹々も、夜になったら眠っているのだろうか。城の皆も夕食の頃合いだろう。女王陛下や、鳥の魔法使いファルコ、ベルモンテに、入江姫、そしてロビンの工房にも平等に夜の帳は降りているのだろう。あの明るく親切で心優しい未亡人が、寂しい思いをしませんように、と心のどこかで祈りながら、テオドールは井戸の方へと向かっていった。
/138ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加