第6話 揺れる大地

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第6話 揺れる大地

 砂漠のオアシスに貼られている白く美しい大天幕に、その「少年」がやってきたのは数日前だった。何でも、自分に仕えたいと言う。  真っすぐな、しっかりしていて聞き取りやすい、どこか少女にも似た声音、年の頃は15にもなっていないらしいが、この盲目の砂漠の王が砂漠のオアシスを巡回する時に取った仮寝の宿で一目姿を拝見して以来、丸で「恋する少女の一途さの様」に、後を追いかけてきてしまったという。 「………ちょうどよい」  アルトゥーロ王が呟く。 「かの宮殿に行かねばならぬ用がある。連れていく」  この気難しく孤高な王に仕える側用人や近習達が目を丸くし、部屋の隅で平伏していた「ファラハード」と名乗った「少年」がぱっと顔を上げた。  それが4日前のことである。絢爛豪華な王宮の廊下を、二人は杖の音だけを響かせて歩く。 「我が首都の宮殿ははじめてか、ファラハード」 「は、はい。何もかもが銀色で、凄いです……」 「銀、か」  この帝国の王たる兄に子が生まれた。男子らしい。つまり、王位継承者であるということだ。盲目故に砂漠に放り出された弟をこうして兄が呼び出すのは何十年ぶりだろうか。盲目の目には何も映ることはないが、それでも、魔法使いをも超える何かが「映る」こともある。『砂漠に住まう予言王』とも呼ばれているらしい。 「ファラハード」 「は、はい」 「………最近、我が天幕にお主以外の近習も増えた気がするが、その者らは、銀の首輪などをつけてはいるか」 「え、は、はい。そういえば、皆、つけています」 「お主は正直で良い」 「あ、ありがたき幸せでございます。なんとお言葉を…」 「そやつらの首輪、全て盗み出して砂漠の誰も知らぬ地に埋めよ」 「えっ」 「余からの命令、否、密命である」 「か、か、かしこまりました」 「我が砂漠は金色ゆえに。銀などいらぬ」  何かいわくがあるのだろうか、とファラハードは思わず好奇心を喉元まで抑える。出過ぎた真似は禁物だ。気難しい主君なのだから。宿の下働きで偶然この王の姿を見かけたあの日から、何故か自分はこの王に、一生を捧げたい、と丸で天啓の様な、むしろ電撃にも似た、自分でも驚くほどの情熱に突き動かされて、決めてしまったのだ。そう、平々凡々で穏やかな砂漠の女としての一生を捨てて、性別を偽ってまで。 「余に、己が息子の行く末を予言せよとのことだ」 「予言……」 「この宮殿は好かぬ。銀の匂い、それも芳しくない銀の匂いがする」 「ぎ、銀に香りがあるのですか」  生真面目で孤独な砂漠の王がくつくつと喉の奥で笑う。 「この宮殿には8本の塔がある。うち一棟は、魔法使いの塔。帝国五千年の知識を全て詰め込んだ、知識の塔、だったはずだが」  見えぬ目で、アルトゥーロ王が宮殿の窓から外を見る。 「その知識を、そして強大過ぎる力を求める心は、この平穏な世を揺らがしかねない。そういった未来が視える、と兄に言ったらどうなるか。王位継承権は余も持っている。余の全てはあの金の砂漠にあるのだがな。夕暮れには、金色に光っているのだろう。見たことはないが」 「はい。砂漠の全てが、夕暮れは群青、そして明け方は金に染まる刻限がございます。私も、その時間が大好きで……ああ、出過ぎたことを申してしまいました」 「否、よかろう。おぬしは、そして余もまた黄金の砂漠の民。ファラハード。故に、銀に気をつけろ。決して、余の近くに置いてはならぬ。……余は7つの時までこの宮殿で暮らしたが、何かが変わった。力だ。我らは黄金の砂漠を愛するが、この宮殿のどこかにある銀からは、邪な香りが漂っておる」  銀からそのような恐ろしい香りがするとは想像もつかなかったが、王の顔には何時もより何倍も、難しい、自分にはとても推し量れない表情が浮かんでいる。ファラハードは思わず口を閉ざし、喉元まで出かかった好奇心をぐっと腹の底に押し込みながら、王の言葉を静かに待つことにした。 「あの蠅の如き魔法使いどもめ、おそらくは何かよからぬものを、塔の奥あたりから発掘したのだろう……この国にとっては吉兆かもしれぬが、世には混沌のような何かをもたらすものを」  広々とした廊下の向こうをその魔法使い達が歩いていく。王子誕生と同時に何やら重要な発見物があったらしく、どうも宮殿自体がせわしない。 「王子か。兄は後を継がせようとするだろう。つまり、余の存在はいつか脅威になる。わかるな?」 「……でも、実の兄弟で、そんな」 「兄とはそういう男だ。五千年の帝国の主、情けなど持っていてはやってはいけぬ。王子、つまり甥と相まみえるのも、今日が生涯で最後の日になるだろう」 「いいえ、いいえ、私がおります。何があってもお守りいたしますゆえ」  思わず王の白い杖を握る手の上に自分の手を置き、その行為に慌てて手を引っ込めて、 「で、出過ぎた真似を、申し訳ございません」  ファラハードはいつもの様に斜め後ろに戻ろうとする。 「否、おぬしはそれでいい」 「……ありがたき、ありがたきお言葉」 「戦になるだろう」 「……はい」 「銀の件を忘れずに。今はそれだけで良い」  銀色の装身具を身に着けた人間には気を付けよう、そうでない人間は信頼しても良い。銀色にあふれた宮殿の廊下で、ファラハードは、思わず心に刻み込むように目を閉じた。
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