第6話 揺れる大地

3/12

22人が本棚に入れています
本棚に追加
/138ページ
 うっすらと朝靄のかかる国境沿いの小さな緑の森。島から持ち帰った幼子の様に日々伸びやかに育つ小さな苗達に静かに水をやり、庭へと降りると、砂漠の砂の色に似たテラコッタに植えた追憶の菫の花が、何かを自分に語り掛けてくるように揺れる。 「銀、か」  思わず口に出して呟く。『吉兆と混沌』、そして島から持ち出された龍の卵、王太子、すなわち今の王が生まれたときに発見されたという何か。魔法使いとしての感覚が、何か得体の知れないものへの警告を告げる。思わず深々と、森の空気を吸い、深呼吸して息を整える。そこに、朝の修練を終えて服を着替えてきた近習のテオドールがやってくる。 「お師匠様、お出かけですか」 「……そうだな。そうするとしよう」  剣ではなく、大きな枝切り鋏を手に取って、ミーンフィールド卿が言った。 「いかなる時でも、森の手入れを忘れてはならないからな」  書斎の机の上には、カールベルク城下町の古書店で買った書物が山のように積みあがっている。テオドールが折り畳みの梯子を手にして言った。 「つまり、魔法使いのお仕事ですか」 「そうだな。私はこの仕事が好きだ。森番、と揶揄されることもあるがね。古い枝を切り落とし、地面に日光が当たれば、新しい目が芽吹き、森はより豊かになる。……だが、そこの枝のように白い紐が結んであるものは『鳥達お気に入りの枝』だ。切らないようにせねば」  ひらり、と朝一番にやってくる白い小鳥が、ミーンフィールド卿の肩の上で胸を張る。 『あなたほど素敵な森番は、世界広しと言えどもどこにもいないと思うわ。私、この森が好きよ。朝から夕まで色とりどりで、必ずどこかに素敵な場所があるんですもの』 「君達鳥にとっては、この小さな森は庭にも等しかろうな、ロッテ」 『誰も知らない山奥深くの森もいいけれど、こうして人間が手入れした森の方が、私は好きよ。樹だけじゃなくて、人の心に、寄り添える気がするの』  小鳥らしい物言いの中に秘められた、小さく甘酸っぱい果実のような恋の言葉。それを知ってか知らずか、肩の上のロッテに何時もの仕草で人差し指を差し出す。 「光栄なことだ、レディ。鳥達が種子を運ばねば、如何なる緑も広がらない」  澄まし顔で何時もの人差し指にひらりと飛び移り、ロッテが言う。 『そうよ、でもここは「私の」庭同然の森よ。そう思っちゃってもいいのかしら、素敵な森番さん?』 「勿論」  そして、一際大きな樹の前で足を止める。 「大分枝が増えてしまった。梯子を」 「はい」  梯子を借り受けて、慣れた手つきで昇っていく。周りの木々の声に耳を傾け、地面と太陽を交互に見やってから、大きな鋏で枝を切っていく。ふと、ミーンフィールド卿が、そんな卿の肩の上で気持ちよさげに羽を伸ばしているロッテに言った。 「………ロッテ、鍛冶場にいるローエンヘルム卿に伝言を」 『あら、何かしら』 「特注で頼みたいものがある」
/138ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加