第6話 揺れる大地

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 何回も、何回も立ち会っても丸で剣筋が見えない。5回目の立会でやっと見えてきた、古風でやや優雅な立ち姿からはまったく想像もできない速く自在な剣に、何度も何度も振り回されて、思わずテオドールは修行場所になっている庭の一角に座り込む。 「君はちょっと真面目すぎるところがあるのかな。柔軟に、数式を解くように……っていうと何時もアンジェリカが怒るんだ。数式と剣術に何の関係があるんだ!とね」 「オルフェーブル卿は、算術がお好きなんですか」 「ああ。好きだよ。算術が好き、というより、そこから見えてくるものが好きなんだ。どこの地域で、何が獲れて、人はどう流れ、国はどう育ち、土地をどう豊かにしていくか」  あまり算術が得意なわけではなかったが、丸でそれは一本の糸の様だ、とテオドールは目を丸くする。こういう考え方を持つ人がいる。それは、国という一枚の美しい織物を作り上げるには欠かせないことなのではなかろうか。思わず姿勢を正して、オルフェーブル卿の前に座りなおす。 「……カンタブリア家はアルティス王家に近い血筋でねえ。僕は第17子。34人中のね」 「アルティス国のご出身だったんですね」 「そうだよ。僕の剣のスタイルはやや古風だろう。それだけが故郷の名残さ。騎士になりたくって毎日毎日修行してたけど、なんといったって第17子。王家からの叙任なんて夢のまた夢でさ。押しつけられたのが、うちの領地の帳簿づけ。つまり机でのお仕事だったわけさ」  二人で庭に座り込み、汲み上げてきたばかりの井戸の水をたっぷりと口に運ぶ。 「嫌じゃなかったんですか?」 「最初はもちろん嫌だったけどね。でも、自分の領土の農作物や特産品、色んな帳簿を見ているうちに、少しづつ興味が出てきたのさ。こうすればもっと早く利益が算出できるんじゃないか、ああすればいいんじゃないか、真夜中までそういった数式を編み出して………はは、おかしい話だろう。騎士になりたいはずなのに」  テオドールが真顔で首を振る。 「いいえ、全然、おかしくなんかないです。僕はあまり算術は得意ではないけど……」 「いつでも教えてあげるから城に来たら訪ねておいで」 「本当ですか。嬉しいなあ……」 「君は本当に素直な子だねえ。ミーンフィールド卿の従者って言うからとんだ悪ガキだったらどうしようかと思っていたよ」  あっけらかんとオルフェーヴル卿が笑う。 「ファルコさんとご主人様はなんか昔から色々と有名だって聞きました」 「平和なお城にだいたい騒ぎを持ち込むのは彼らだったからね!まあ始末書を送り付けるのは僕だったからさ。ファルコとは闇取引もしたけど」 「闇取引………?」 「どうしても欲しい算術書が他国でしか手に入らない時にね。始末書の代筆と引き替えに買ってきて貰ったのさ」  ヒュイっと口笛を鳴らすと、ひらりと1羽のツバメが卿の肩の上に降りてくる。 「そんな彼も今じゃあ国一番の魔法使いだ。この子はガエターノ。僕とアンジェリカの間をどの鳥よりも速く行き来してくれる。結婚祝いに送られた特別な鳥なんだ。ロッテみたいに喋ったりはしないけれど。賢いし、人の言葉や顔はわかるんだよ」  肩に乗ったガエターノが丸い瞳でテオドールを見ると、片方の翼を広げてぴょこりと頭を下げる。 「……はじめまして、ガエターノさん。ご挨拶をありがとう。僕はテオドール。ここのミーンフィールド卿の近習なんだ」  ウンウン、と小さな頭で頷いて、ひらりと今度はテオドールの肩に飛び移る。そんな一人と一羽の様子を微笑みを浮かべながら見つめ、オルフェーブル卿は少し懐かしげに呟いた。 「……そうだ、今の君くらいの歳だったなあ。どうしようもない壁にぶつかって、家を飛び出したのは。まだちょっと苦い思い出だけど、ね」  自分とて刺繍の道を選ぼうとして家出を試みた経験があるが、どうやらそれよりも大きな何かがあるらしい。庭の緑がそんな彼を気遣うようにやさしく揺れる。 「まあ家出してなかったらアンジェリカに出会うこともなかったんだし、そんなもんさ」 「何か……あったんですか」  遠慮がちにテオドールが聞く。 「そうだね。ちょっと難しくて滑稽な話さ。僕の家カンタブリア家は王家に忠誠を誓ってる。毎年色んなものをお城へ献上したりするわけさ。僕とて領内の帳簿をきちんと作って提出してたんだけどね……。簡単に言うと、『王家よりも我が家の方がずっとお金持ちなのがバレたらマズい』ってわけで、僕が出していた帳簿はしっかり書き換えられて国王の元に届いてたんだよ」 「えっ、そんな」 「アルティス王家も今の国王になるまでには色々あったからね。もう50年も前だけどカンタブリア家と争ったことだってある。そう、色々あるのさ。でも僕は愕然としたよね。毎晩毎晩、領土を、そして我が国を豊かにするべく頑張っていたのに、それが全部無意味で、しかもこのままじゃあ騎士にだってなれない。それで、国を飛び出したんだ。たったひとりで」 「………」 「で、カールベルクにやってきたんだ。小さい国だけど、『善き心とそれに見合う腕前』さえあれば騎士団に入れるって聞いてね。あれは申し込みに行く日だった。受付のところに一人の老人と、やたら大きな剣を持った少女が立っていてね。もう亡くなってしまったけれど、法務官のジャコモ卿、今では僕の妻、アンジェリカの育ての親だったお方さ」
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