雨の中、きみのとなり

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走っていた僕は視界の端に小さな、雨宿りができそうな空間を射止めた。既に閉店しているのか、降ろされたシャッターから消えかかった「定食屋」の文字が描かれた小さな庇が延びていた。僕はその庇の下に逃げ込んだ。僕以外は誰ひとりそこにはいない。僕だけの空間がそこに形成された。 確か今朝の天気予報は曇りだ。実際僕が図書館を出た時は、薄い雲が紺碧の空を、水で伸ばした白色のインクのような色で染め上げていた。しかし、逆に言えばその程度。雨が降るような素振りは少しも見えなかった。つまりこの雨は通り雨ということだ。 不幸にも僕はバッグの類を一切を持っていない。本を借りてしまった以上、濡れないよう心掛けながら雨が上がるのを待つのが精一杯だ。本を読んでいればこの通り雨もいつの間にか止むだろう。僕はそんな算段をつけて、先程まで読んでいた頁を開いた。 経済学には日常生活ではおよそ聞き慣れぬ言葉が羅列されている。しかも文字からは意味が読み取れない単語が殆どで、暗記するのは容易ではない。だが僕は暗記することが得意だった。暗記といっても単語帳を作り、皺ができるまで捲るわけではない。僕の暗記方法は、本をとにかく読むことだった。僕は幼いときから本を読んでいたが、何度も同じ本を読むという病的なまでの癖があった。僕は本のおおよその内容を覚える程本を繰り返し読んで、それにより知識を蓄積、延いては固定化させてきた。 庇の下は騒がしかった。雨粒が庇を弾いて低い音を響かせていたからだ。しかし、それは本に集中していれば自然と意識外に追い出された。本を読んでいる時は、僕の一切の意識は本に注がれる。環境音などどれだけ大きくても、僕にとってどうでもいいことなのだ。
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