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予備校の看板の陰から、ぬっと黒い影が出てくる。
黒いジャンパーにぶかっとした黒いパンツと暑苦しい、大柄の男だった。それが右手をポケットに突っ込んで立っている。
地曳は目の前に現れたその男を、人の波と同じように避けようと進路を変えた。が、男が立つ場所を変えたため、彼女の進路は塞がれる。
彼女は思わず足を止める。
譲り合いなら普通ここで、目線が合い、お互いに「すみません」と言うか会釈をするかしてすれ違うだろう。
しかし、彼女が顔を見ても男の顔は帽子で隠れて見えない。
もう一度行こうとするが、やはり男もついてくる。
地曳は眉をひそめた。
「あの」
たまらず声をかけると、ようやく男が地曳に顔を向けた。
が、目線は合わなかった。
焦点が合っていないのだ。
こちらを見ているのに見ていない。
なにかがおかしいと、地曳は眉を顰める。
男のポケットに突っ込んでいた右手がもぞりと動いた。その手が握る物を視界の隅で捉え、地曳の心臓は、大きく脈打った。
――慌てなくても僕はそれじゃないよ。
なぜか響いた蔵田の声にハッとし、咄嗟に後ろに身を引いた。
目の前をぎらりと何かが通り過ぎる。
鼓動は速度を増し、呼吸は乱れた。
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