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最終話 そして私は鎌倉地元女子となる
10月に入ったというのに、その日はまるで夏に舞い戻ったかのように暑かった。
会社からどうやって和田塚写真館に辿り着いたのか記憶がない。
全身、汗だくだった。この暑さのせいもあるが、おそらく冷や汗も出ていたのだろう。
私は脱いだスーツの上着を手に持ち、なかば呆然としたまま写真館の扉を開いていた。
「いらっしゃい。あれ?」
カウンターの奥でカメラの手入れをしていた倉橋さんが顔を上げて私の顔を見るなり、驚いた表情を見せる。
「加奈さん、こんな平日にどうしたの?」
「ああ、倉橋さん……」
倉橋さんの顔を見ると、安心しきって倒れてしまいそうだ。
いや、もう足がふらついている。意識が遠くなる。
そして、私はへなへなとその場に座り込んでしまった。
「加奈さん!」
倉橋さんは立ち上がってカウンターを飛び越えると、走り寄って床に倒れこむ寸前の私の肩をしっかと抱きしめた。
「どうしたんだい!?具合でも悪いのかい?」
「水……水をください……」
「わかった。ゆっくり体を起こすからね」
倉橋さんは私を抱きかかえると、来客用ソファへそっと体を横たわらせた。
ああ、倉橋さんにこれまで何度か抱きかかえられることはあれど、毎度ロマンスもへったくれもない。
今日だって、こんな汗だくで精神ぼろぼろの状態なんかじゃなく、もっと素敵なシチュエーションで抱きしめて欲しかったのに。
「はい、水だよ。ゆっくり飲んで」
倉橋さんは私の背中にそっと手を回し、上体を少し起こしてコップを口に当ててくれる。
私はそれをごくごくと飲み干した。
気がつくと喉が異常に乾いている。脱水症状を起こす寸前だったのかもしれない。
「……ああ。ありがとうございます。すみませんすみません」
「大丈夫?」
目の前に倉橋さんの心配そうな顔がある。
次第に頭のもやが晴れてきた私は、猛烈な恥ずかしさを感じて赤らんだ顔を手で隠した。
「だだだ大丈夫です。もう」
私はあわてて体を起こすと、ソファに座りなおした。
倉橋さんは、しゃがんだまま眉をひそめてじっと私の顔を見つめてる。
「本当に?ただごとじゃなかったよ?」
「こんな姿見せてしまって。ああもう恥ずかしい」
「いったい、何があったのかな?」
私はふうと大きく息を吐くと、肩を落とした。
「……それが、会社がなくなっちゃったんです」
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