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母の愛、子の慕情
講習会前夜。吉田健也と山田太郎は講習会場の設営に追われていた。気心の知れた男同士だから腹を割った会話もできる。
「どうして貴方の息子さんはマイルプリント柄の女性にこだわるんです?」
「…」
山田太郎は、それについて話を逸らそうと思った。山田太郎がこの講習会で授ける課題は「アイドルの絵」から始まり、「コスプレ活動のコツ」と「絵を描いて欲しい」とのみ書かれていた。
「それはどういうことですか?」
吉田健也は眉をひそめた。この内容は論外だ。そもそも事業内容はタブレット端末と最新IT事情についてとしか伝えてない。学校側が知れば即時中止も辞さないだろう。最悪、山田も吉田も訴追される。
「あ~~…。」
吉田健也の質問に山田太郎は言葉が詰まった。吉田健也は彼を見ていて、この質問が「何かを表現しなさいと迫られる質問」の様に聞こえてしまい、よけいにイラついた。
ちなみに、この講習会は山田仁朗の母が関係している。山田太郎は自分の息子が小さい時に妻を病気で亡くしている。不治の病で日に日に痩せこけていく母に幼い仁朗はぎゅっとしがみついていた。その時の服装がアイル柄のニットシャツだというのだ。仁朗にとってはアヒル親子の刷り込み効果同然の影響があったらしく、夏でもその服装をせがむようになった。やがて季節が廻り、出棺の時を迎えた。死装束にしよう。残しておくと却って仁朗を苦しませるという懸念もあったが、取り上げようとすると仁朗がギャン泣きするので形見にした。
それを知っているのは、彼の親だけであった。
「いや、別に…。」
「本当ですか?」
吉田健也はカリキュラムの偏りに触れた。「映像美にこだわりが感じられますね。アイドルの絵を描いてくれ、はわかります。タブレットの基本的な使い方だ。しかしコスプレ活動は直接につながらなない」
「そうでしたか。じゃあ、これを読んでください。」
吉田健也に渡されたのは、139ページと言う分厚い本だった。山田はその表紙を見つめる。
それで一挙解決した。著者は山田尚子。学生時代はその方面で有名なコスプレイヤーだった。遺作は自分を被写体にしたCGの入門書だった。
母の顔を忘れたまま男手一つで育った仁朗であるが、成長するにつれ瞼の母を知りたいという好奇心が強まった。太郎は告別式の惨状を覚えているだけに古傷が開きはしないかと心配した。案の定、母の活躍ぶりがトラウマを呼び覚まし、強烈な幼児退行を引き起こした。
しばらく女気のない場所で暮らしたいと願ったのは仁朗の方だった。
そして彼は最近になってようやく立ち直り、このまま母の幻影に振り回されるのはよくない。トラウマを克服するためにはあえて母に似た女性を愛し、守り、立派な家庭を築いて幸せに暮らすことが一番の供養になるのではないかと考えたのだ。それで父に無理な願いをした。
困難を乗り越える試練としてはブラック校則が最適な課題だ。
「そ、そんなことだったのか。俺はてっきり下心で」
そして吉田は自分の浅薄さを恥ずかしいと感じ、土下座して謝った。
彼を見つめる山田は何も言わず、ただ一言「ありがとうございます」と言った。
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