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羽虫の恋
『甲斐利くんは皆の甲斐利くんだった。凪さんのものじゃなかった。あの微笑みは皆に向けられるモノだったお前が壊した希望を奪ったなんでお前なんだよりによってなんでなんでお前が!』
何度も静音さんの頭を掴んでは机に叩きつける女の映像を見せると、当事者のまあ、驚くこと。
「甲斐利さんに見せられたくなければ、貴女がまだ彼に尊敬されていたいなら。私が要求するのはひとつだけよ。今後一切あの子に関わらないで」
スマホの動画の中で女は、甲斐利さんが毎日いとおしげに撫でている静音さんの長い髪をでたらめに切った。
「貴女は彼らが結ばれるのをただ見ていただけじゃない。揺らめくかがり火の周りを飛びながら、焼け死ぬと分かっていて触れもしない羽虫よ」
女は怨嗟のこもる呻き声をあげて髪の毛をかきむしる。身を焼き焦がす恋は人を狂わせるのだと、まざまざと見せつけられた。
思い返す。
静音さんのことで貴方と争うくらいなら死ぬわ。甲斐利くんがそれを信じられないなら、今ここから飛び降りようかしら。
土日を挟んだあとの月曜日、凪静音の手入れのいき届いていた長い髪は、予想通りに短く切り揃えられていた。
「おはよう静音さん。髪切ったの?」
「おはよう! 似合うかな?」
「とても。貴方はどんな髪型でも可愛いわ」
私の言葉を聞いて照れ笑いを浮かべる彼女に、尊敬の念を送る。
自慢の髪だったはずだ。
きっと、悲しくて苦しくて泣いただろうに。
甲斐利くんと合流し、彼も私と同じように彼女の髪を素敵だと話してくれた。
静音さんが前を歩くのを確認して、私は彼に声をかける。
「甲斐利くんが、わるいなんて言わないけど……貴方に任せているのは、私の大事なものだから、傷つけないでちょうだいね」
「ありがとう……頼りないかもしれないけど頑張るよ」
私の言葉じりから何を感じ取ったかの詳細は分からなかったが、甲斐利くんは細かなことを尋ねることなく眩しい笑顔と暖かな話し方で決意を示す。
太陽のような明るさを持つ彼女とお揃いだ。
あの子の運命は私とは繋がらない。
あの女のように傷つきたくない。
熱を求めて焦がれ死ぬのはごめんだ。
握りこんだ拳の爪が私の皮膚を破る。
血が滲むのを感じた。
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