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「芸能の世界が長いものですから少々偏った考え方なのかもしれないんですけど、まあ経験者でもありますし少し言わせてください。人間は、人は、どうしてだかルーツを知りたがります。本能のように。私の娘もそうでした。もし、お腹の子が父親のことを知りたがった時に、あなたはどうしますか?あなたはお若いんだし、可愛いんだし、これたらだって色んな出会いがあると思いますよ。その度に、この子は誰の子だ?って誰でも聞きますよ。その時あなたはどうしますか?あなたが今肩肘張って頑なに守りたいものは、第三者の私から見たら試練の塊でしかありません。独りで育てるってそういうことです。それでも心と体が元気なうちはいいんです。問題はそうじゃない時、不協和音のように人生が思えてしまった時、人は誰でも魔が差します。それが一番厄介で恐ろしいんです。彼は、金の成る木です。その目先のお金欲しさに卑しい行動をとったり自暴自棄になったり、やがて徐々に他人が信じられなくなってゆきます。周りの人間がどんなに助け出したくても何の手立てもない。何をされても感謝さえできない。負のスパイラルです」
一つの命の誕生を喜びたいだけなのに、その一つの為にいろんな感情が波のように押し寄せた。私もその不協和音なら知っていた。不安定な一組の夫婦をずっと見てきた。この目で。
気付くとその目からすとーんと生暖かい涙がこぼれ落ちていた。
「ただ産みたいの。それだけではダメですか?」
私は言った。
「私は否定も肯定もしません。ただ私どもにとっても全く関係のない命ではないので、もし産むと言うのであれば手助けだけはさせて下さい。でもそれには条件があります」
梶原さんはきっぱりと言った。
彼女のリスクマネージメントは端的で分かりやすかった。お金や心の満たされない人間が、次に何をしでかすかということをきっと芸能界というところで沢山見て来たのだろう。
満作との結婚を望まないこと。
他言は決してしないこと。
できればここ以外の土地で産み暫くの間育てること。
条件はそれだけだった。
更に頼れる身内が近くに誰もいない私に、梶原さんは自分のご実家である別府の温泉旅館で当面過ごすことを勧めてくれた。
“私はただ、命の話がしたかったんだ。”
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