八章 一度忘れた。

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「そういうのじゃなくて、僕は、ここでのことも、この町のことも忘れて、東京で、芸能界で、自分の過去を知らない人間ばかりに囲まれて楽しくやってたんだ。何年も何年も。殆ど仕事ばかりだったけど、恋もした。幸せだったし、満たされていたんだ。何度目かの恋が終わって、風の噂で先生の病気のことを知って、百々との約束を思い出した。元気かなって。会いたいなって。調子乗ってんじゃねえよってツッコんでほしいなって」  満作は静かに言って、私を少し見て下を向いた。  そういう意味だったのかと、その時初めて鈍い頭で理解した。 「好きみたいなんだ」  満作が改めて言った。 「僕みたいな男はやっぱりダメかな」  一応今をときめくスーパーアイドルの彼が、「僕みたいな男」とか、「やっぱりダメかな」とか自分を卑下するような表現を使うのは、相手によっては嫌味な感じに受け取られるんじゃないかと思うのだが、私はあの頃の彼を側で見てきて、彼のコンプレックスや心の傷の部分や悲壮感を知っている者として、その言葉がどれだけ切実で正直なものなのか切ない程分かった。 「ダメとか以前にさ」  私は言った。 「なんで私がフリー前提なの?」  満作が吹き出して、何となく和んだ。 「百々がフリーかどうかじゃなくてさ、百々がこんなに悲しい時にしっくり、ぴったりと寄り添っている人が僕以上にいないことだけはわかったからさ、今までの調査で」  と笑い、私も笑ってごまかした。 「急がなくていいし、僕もちょっと変わった仕事してるし、ゆっくり考えてみてほしい」 「おじいちゃんになっちゃうかもよ」  それは率直な言葉だった。正直よくわからなかった。  当時、片思いだったが私にも好きな人がいた。その恋は結局実らなかったのだけど。 「それでもいいよ」  満作は言った。
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