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「東京でさ、一人きりの時、自分という人間と向き合えば向き合う程、過去の嫌な感情や辛い思い出ばかりが蘇ってきて、でもそのドス黒いものの中心に微かに温かく光っている部分が確かにあって、それが、まるごと百々なんだ。全てを手繰り寄せないと君には辿り着かないんだ。それでもいいから一緒にいたいなって思えるんだ。一緒にくだらない、本当にくだらない話をだらだらして、何も考えずに笑いたいんだ。笑えるんだ、百々となら。暗いところも明るいところもどこへでも行ける気がする、百々となら」
「そういうことか」
とだけ私は言った。
それからも満作はちょくちょくやって来て、すぐまた嵐のように去って行った。付き合っているわけでも、ふったわけでもない状態で、満作は以前と変わらずやって来てくだらない話だけして帰って行った。
梅雨が終わり、夏が始まろうとしていた。
仕事が終わって家に帰る途中、車の中で焼けるような真っ赤な夕焼け空を見た。
なぜかその時ふと、帰ったら家に満作がいるような気がした。
今まで平日のこんな時間に来たことはなかったし、勿論合い鍵を渡しているわけでもないのに、何故かふとそんな気がした。そしてそう思うと心がふっと温かくなった。
私はいつの頃からか、満作があの家にやって来るのを「待つ」ようになっていた。そして来ないと無性に寂しいからなるべく期待しないように、傷つかないように用心深くなっていた。いつからだろう。
家に帰り着くと、本当に満作の車が畑の横に置いてあって、予感が的中したのもあってか心が焦っていた。早く顔を見たいと思った。
車を下りて、玄関ではなく、私は中庭を通り抜けて道場の方へと走って行った。道場には常に鍵がかかっておらず、中には案の定満作がTシャツに半パンのまま竹刀を振って汗を流していた。いつになく真剣で、鋭い目つきで声を掛けるのにためらう程だった。
満作が私に気付き、動きを止めた。汗が滝のように流れ出ていた。
「おかえり」
満作が少年の様に笑った。
「ただいま」
私は言った。
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