九章 生まれ落ちた日

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九章 生まれ落ちた日

 梶原さんのご実家である別府の鉄輪温泉旅館は思っていたよりも大きくて格式のある感じだった。女将さんは上品でいつ見ても笑顔だった。毎日美容院でヘアセットをして、高そうな着物を着ていた。大将は旅館の料理を取り仕切っていて、一日中厨房に籠っているような人だった。仲居さんや厨房スタッフや受付や事務や送迎諸々のスタッフが三十人くらいはいたと思う。一人娘である梶原さんはそこの温泉旅館を継ぐことを拒否し大学進学を機に上京した。それから十年ほど経ち、梶原さんは東京で未婚のまま子供を産んだ。旅館の跡取りが欲しいご両親と、仕事を続けたい梶原さんとで話し合いの場が持たれ、その子は温泉旅館の祖父母の元で暮らすことになった。  その子は名前を小雪ちゃんと言った。当時十歳だったが、歳より大人びた子だった。  私は暇な妊婦で、温泉旅館の離れの一部屋を間借りしていたのだけれど、食事は上げ膳据え膳で、定期妊婦健診と散歩くらいしかすることもなく、小雪ちゃんはそんな私の元へよく遊びに来ていた。小雪ちゃんの部屋は離れの二階で、私の間借りしている部屋の真上だった。  二人でよく温泉街を散策した。みゆき坂やいでゆ坂を上ったり下りたり、すじ湯通りや鉄輪銀座通りを歩いた。至る所から硫黄臭い湯気が立ちこめていた。温泉プリンや温泉まんじゅうや豚まんや土産物を売っている店を見ながら、調子がいい時は湯けむり展望台まで登ったりしたこともあった。  その日は小雪ちゃんと鉄輪銀座通りをぶらぶら歩いていた。 「百々ちゃんは産むの怖くない?」  小雪ちゃんはいつもストレートにものを言う。そういう所は少し梶原さんに似ていた。 「痛そうだよね。でもここまできたらやっぱ出し切りたい」  私はパンパンに張ったお腹を押さえながら言った。歩くたびに息が切れた。もう予定日を数日過ぎていた。  小雪ちゃんは右手に持っていたコーラを開けて一気に半分飲んだ。 「内緒だよ、百々ちゃん。私、本当はパパが誰か知ってるんだ。おじいちゃんもおばあちゃんも知らないけど、ちょっと前にね、こっそりママが教えてくれた。想像してたのとかなり違ってて笑っちゃったんだけど、納得した部分もあった。これがルーツなのかって。だからママはシングルマザーで私を産んだのかってね」  小雪ちゃんは言った。 「私って不遇なの?」
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