二章 港

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二章 港

 こうちゃんのたっての希望で本格的に帰国する前に台湾の緑島のじいじに会いに行った。  私の生い立ちは少々複雑で、父は今、台湾の緑島という島でペンション経営をして暮らしている。父は日本人と台湾人のハーフで、日本で生まれ育ち日系企業に就職し純日本人の母と出会い結婚した。私が生まれてからすぐ台湾に駐在員として赴き、いろいろあったがそれからずっと台湾で暮らしている。私が12歳の時に父と母が離婚して、私は母について日本へ帰国した。  父は今の奥さんと出会って、ここ10年くらいは緑島に移り住んでいた。  私たちは台北から新幹線で台南まで行き、大好きな赤嵌擔仔麺の擔仔麺を食べて、台東行きの特急列車に乗った。台湾南部の海岸沿いを行く列車に揺られながらこうちゃんと二人、水平線をただぼんやりと眺めた。キラキラと遠くまで瞬いていた。永遠のように。 「ぼくはやっぱりここがすきだな」  海を見たままこうちゃんが言った。 「ママも大好き。ママには4分の1、こうちゃんには8分の1、ここの国の人と同じ血が流れているんだよ。緑島にいるおじいちゃんが2分の1。不思議だけれど、それも少しはあるのかな」  私は言った。  解放感とも少し違う。  私たちは浮遊している。誰にもバレないように、ひっそりと。  これまで不思議な自由を私たち親子は味わってきた。  例えば父親が常にいないということ、ある程度のお金や時間の縛りがないということ、何をどう学んでもいいということ、学ばなくてもいいということ、行ける場所は無数にありそれを決めるのは自分たちであるということ、しがらみやご近所付き合いや嫁姑問題がない代わりに新しい人間関係は構築しづらいこと。孤独だということ。  人は自由すぎるとバカはしなくなるものだ。オールで飲んで騒ぐのは、それが束の間の自由な時間だということを知っているからだ。本当に無人島で暮らさなければならなくなったら、人の行動はきっととてもシンプルで無駄な動きなんて一切しなくなるだろう。  更に、人は過度なストレスがなくなると少し緩くなる。そして生活が単調になる。無機質っぽくなる。無印良品のパンフレットに出てくる家族の様に、意外とこざっぱりまとまってしまう。  本当に欲しいものなんて、あんまりないのだと気付く。私の場合はそうだった。  世界には沢山の魅力的な場所があるけれど、ふらりと訪れる私たちは基本よそ者だ。
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