31人が本棚に入れています
本棚に追加
三章 閃光
満作は芸能界という所にいて、全く違う名前を名乗り、思いっきり甘ったらしい声で、嘘で固めた自分を演じている。満作は地元の中学を卒業すると直ぐ上京して、割と直ぐに売れっ子になった。
私と満作の地元は東京から車で二時間くらいはかかる小さな田舎町だ。私は十歳からこの放浪の旅に出るまでずっと、その町にある母方の祖父の家で暮らした。祖母は早くに他界しており私は会ったことすらない。母も台湾から戻ってすぐに別の場所で暮らしていたので、私の不安定な十代はほぼ祖父と共にあった。祖父は近所の子供たちに剣道を教えていた。家の離れに小さな道場があって、昼間はその横に広がる広い畑で働き、生徒たちが下校して道場にやって来ると道着に着替えて指導にあたった。ほぼ毎日、夕方の六時まで道場からは子供たちの掛け声が聞こえてきていた。私は剣道をしたいと思ったことも、祖父から勧められることも特にないまま、母屋の居間や二階の自分の部屋で静かに本ばかり読んでいるような女の子だった。人付き合いもそこそこに、自分の屈折した部分をひた隠しにするように、思春期のモヤモヤした感情もコントロールしながら、そうやって私は私なりに自分の殻を守っていたのだと思う。当時は明治から昭和初期の純文学ばかりを読みあさっていた。その読書の時間に煎餅をかじりながら、寝そべりながら、或いは壁にもたれながら、いつも離れの道場の元気な掛け声を何となくBGM代わりに聞いていた。
年に何度か、畑でできた西瓜を道場の子供たちに振る舞ったり、豚汁を振る舞ったり、庭でお餅つきをしたりすることはあったが、基本的に私は母屋に居て参加することはなかった。
いつの頃からだったか、剣道教室が終わってもなかなか帰らない生徒が一人いて、夜遅くまで祖父と地稽古していたり、もう帰ったのかと思ったら祖父と一緒に母屋にやって来て夜ご飯まで食べて行ったりするようになった。頼んでもいないのに畑仕事や家の修繕を手伝ったり、全然剣道と関係なくても平然と来るようになり、慣れた足どりで居間にあがりこんで畳の上に胡坐をかいて祖父の作ったたくあんや漬物などをポリポリ食べながら、祖父の将棋盤で一人将棋をしたり、私の読み終わった本を黙って借りて読んだりしていた。
最初のコメントを投稿しよう!