馬の耳に念仏

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馬の耳に念仏

 一心不乱にノートに何かを書き続ける吉田を、僕は不思議な気持ちで眺めていた。 「何を書いているんだい?」 「待っててくれ、少し集中したい」  普段は人当りの良い吉田だが、少しぶっきら棒な言い方だった。  ちらりとノートを見ると、意味不明な漢字がひらすら羅列されていた。  そのまま十分ほど待つと、吉田がノートを閉じた。 「終わった。行こう」  二人で向かった先にいたのは一匹の馬だ。  茶色で、がっしりした体格の馬だ。  鞄からノートを取り出した吉田は背表紙を剥ぎ取り、ページをバラバラな状態にした。 「何をする気だい?」  バラバラになったページの一枚を僕の目の前に差し出した。  やはり意味不明な漢字が羅列されている。 「馬の耳に……」  そう言って吉田はページをクルクルと巻いて筒状にすると、馬の耳にそれを差し込んだ。  馬の目が開かれ、苦悶に満ちたような表情を浮かべたかと思うと、一転して恍惚な顔に変化した。 「一体何を!」  僕は慌てて吉田を止めようとしたが、すでに2枚目の紙を手にしていた。 「念仏だよ。馬も喜んでるだろう?」  確かに、馬は心地よさそうな表情だ。それに耳に突き刺した1枚目の紙が徐々に耳の中に吸い込まれている。 「馬も念仏が好きなんだよ」  吉田はそう言うと少し飛び出ていた1枚目の紙を押し込み、2枚目の紙を突き刺した。  呆気にとられた僕は、彼の作業を黙って見ているしかなかった。  馬の耳に、5枚目、6枚目と念仏が吸い込まれてく。  馬の表情がまた変化してく。いや、表情ではなく顔の構造そのものが変わっているのだ。  肌は白くなり、鼻や口が少しづつ縮まっていく。頭の上部についていた耳が目の横へ移動し、目は正面を向くようになった。 「これが人面馬だよ」  首から上だけが人間の顔だった。頭の他は馬のままで、見ているだけで生物の概念を混乱させるような代物だ。  人面馬の口からは吉田が差し込んだと思しき念仏の淡々としたメロディが吐き出されている。  ふと、人面馬の首が動き、僕の方を見た。目が見開かれ、怒りの表情へと変わった。  今にも飛びかかってきそうな様子に恐怖を覚え、その場から一目散に逃げ出した。  しばらく走った後振り返ると、吉田はまだ楽しそうに馬の耳に念仏を差し込んでいた。
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