虫取菫とキューピッド

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しっとりと囁く声色に、別人格でも乗り移ったのかと目を見開き凝視した。 清楚で可憐な中に元からほんのり感じる色気が、制御装置を解除した様に溢れ出す。 こちらを試す様な妖艶な微笑みにいらついた。 相手の正面に回り込み、ベンチに乗り上げる。 そのまま両腕に挟み込む形でベンチに手をついてから、右手を陽次郎の顎にそっと添えた。 鳩が豆鉄砲を食ったような顔に向かいドヤ顔をしてみせる。 「どう?壁ドン顎クイ」 「…それ女子にやるやつ」 アホだと言いながら文字通り腹を抱えて笑う姿は、いつも通りでほっとする。 気が抜けてしまい、向かい合ったまま膝の上に腰をおろすと、急に腰を抱き寄せられた。 「あーそれはアリ」 後頭部に何か当たったと思ったら、目の前に長い睫毛が見えた。 頬に温かな息が当たり、一瞬呼吸が止まる。 状況を理解したのは、唇が離れていくときだった。 「どう?俺の誘惑」 「焼きそばパンの、味がした」 「月子ってロマンスとねじれの関係に位置してんだなまじで」 呆れた顔で私の両脇に手を入れて持ち上げ、膝から降ろした。 瞬間、鳴り響いたチャイムの音に、脳内でサングラスをかけた司会者が「一旦CMでーす」と場面転換を促してくる。 陽次郎は何も無かったかのように教室に戻る準備をしながら時間やばいぞと声をかけてくる。 「ああ、うん」 私も普段通りな(てい)で、脳内司会者に従い、その背を追って教室へと急いだ。 移動中、時間が経つにつれ、段々と怒りが湧いてきた。 いきなりキスをしてきてしれっと去るこの大罪人を誰か逮捕してくれないだろうか。 罪状は『人のファーストキスをレモンの味じゃなく焼きそばパンの味にした罪』で。
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