第三部

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手がけている仕事のキリをつけ涼介は『銀華堂化粧品』に向かう。今日も薫樹と夕飯を共にしようと思っている。明日は恐らく薫樹は芳香と過ごすだろうが、平日はいつ環がやってくるかわからない。天涯孤独で恋人を失くした環のことを考えると少し罪悪感が沸くが、薫樹には芳香と結びついていてほしいと思っていた。薫樹と芳香の出会いを知り、やっと巡り合えた二人が結ばれることは涼介にとっても唯一の相手と結ばれる理想的なもので、邪魔されたくなかった。 玄関が見えると、長身の女が見えた。環だ。(ほらみろ、やっぱりな) 警戒は当たったと涼介は環に近づいて声を掛けた。 「こんにちはー、環さん」 くるっと振り向き、環は鋭い目で涼介を一瞥し「こんにちは」と静かに返す。 「どうしたんですか? こんなところで。注目集まってますよ? 兵部さんに会いに来たんですか?」 「そうよ」 「ああ、それは残念だ。今日、彼、出張でいないんですよ」 「出張?」 「ええ、僕もさっき思い出して。明後日まで帰ってこないみたいですよ」 「そう……なの。じゃ、帰るわ」 適当な嘘をつき、その場を凌いだ涼介は、帰ると言う環の言葉にほっとする。立ち上がると環は涼介の鼻先くらいに頭があり、ふわりとエキゾチックな香りが漂う。 少し香りにくらっとして環の後ろ姿に目をやると、片足を引きずっていることに気づいた。 「ちょっと待って」 環を引き留め、「足、怪我したの?」と指をさす。 「あ、さっきくじいて」 環は小さな中国の花の刺繍が可憐に施された赤いビロードの靴を履いている。涼介はまるで纏足のような見える小さな足にごくりとつばを飲み込むが、冷静さを取り戻し、「そこに座って」バス停のベンチに環を促す。やはり足が痛いのだろうか、素直に環は腰かけた。
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