第三部

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涼介は胸元からミントの精油を取り出し、ハンカチに垂らして環の足首に巻く。 「ありがとう」 素直に礼を言う。モデルだからなのだろうか、人に何かされることに無抵抗でいる環は非常に無防備に見える。 「病院に行く? それとも帰る?」 「病院はいい。帰る」 「どこまで帰るの? 「グランデホテル」 「ああ、ホテル住まいなのか。送るよ」 「タクシー呼ぶから平気」 「いやあ、君は薫樹さんの友人でしょ。こんなんで放置しちゃったら俺も、気まずいからさ。ちょっと肩を貸すだけだから」 「そう、じゃあいいわ」 話していると目の前をバスが停まる。 「これに乗る」 「ん? バスにする? まあこれなら一本で行けそうか」 環の手を取り、二人でバスに乗り込むと、当然のように車内はざわめく。席はちょうど二人掛けの席が一つ空いていたので環を奥に座らせ涼介は立ったまま、シートの肩を持つ。 「座らないの?」 「うん。狭いでしょ」 「そう」 出会った頃や、カフェで会った時の環と違い、今日はやけに大人しくきつさがない。薫樹がいないせいで元気がないのだろうか。そんな環の様子に涼介はペースを崩されるような、かき乱されるような、もやもやしたものを抱えている。 バスはちょうどホテル前につく。 「部屋まで送るよ」 腕を出すと環はすがりつくように腕を組み、軽く足を引きずってゆるゆる歩く。 若いドアマンの「おかえりなさいませ」との第一声を始め、部屋に着くまでに何人ものスタッフに声を掛けられ、その度に環は「ただいま」と言い尋ねられる足のことを答えた。 全てのスタッフを無視することのない環に感心しながら涼介はどんどん印象が変わっていくのを感じる。 部屋に入るとスーパーモデルという存在とは無縁の小さな簡素な部屋だった。
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