第三部

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落ち着きなく目を泳がせる環にジャンが名刺を渡す。 読めないフランス語であったが、裏を返すと英語でも書かれてあり読むことが出来た。 「調香……学校。ジャン・モロウ……」 「確か、あそこが今度モデルをオーディションするって言っていたな。公開じゃないから 情報は知ってるものしか知らない。私の紹介だと言いなさい」 「え、で、でも……」 「まさか、君は実力だけで勝負したいとか言わないだろうね。国籍ですら不利なのに。ちゃんとチャンスを使うように。ダメな時はそれでもだめなのだから」 マリーは優しい目で頷きながら環を見つめる。 「あ、ありがとうございます」 初めて希望の光が見え始めた環は頭を深くさげた。 「今日は、ここで失礼するわ」 二人の夫婦を見送り、セーヌ川の向こうのオーディション会場へ目をやった。 そのオーディションをきっかけに環はモデルの道を進むことが出来た。いつの間にかジャンとマリー夫婦のところへ居候することになり、家族のような関係を築く。 ジャンは調香学校やら、公私ともに行く先々に環を連れて行った。環がジャンの恋人だと噂されるのは至極当然のことである。 そのことについてマリーに申し訳ないと胸を痛め、一緒に出歩くのは止したいと申し出たが、マリーは逆に環の身が安全であると言うことを説いた。 香水王の愛人であれば、並の男はもちろんのこと、悪意のある権力者からも危険な目に合うこともないだろうと言うことだった。 ジャンもマリーも一人娘を失くしているせいで、環を過保護に守る。自分たちが醜聞の的になることなど、全く恐れないのだ。 亡くなったクロエが履いていたシューズを20足ほど受け取る。ジャンは仕事や旅行に出かけたときにいつも娘にお土産として靴を買っていた。亡くなる前、最後に履いていた靴――環が二人と出会った時に履いていた靴――は捨てたらしい。 こうしてジャンとマリーに守られながら、環はTAMAKIとしてスーパーモデルの道を歩み続ける。ジャンが亡くなるまで。
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