第三部

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木の陰ですんなりとした肢体の環を、薫樹は上から下まで一瞥し、彼女の首筋に鼻先を添わせ、やがて胸元、二の腕、から指先までたどる。 「素晴らしいな。これは名香中の名香だ。彼はどうしてこれを商品化しなかったのだろう。このパフュームを発表すればまたトップに躍り出でただろうに」 「そんなにいいの? 実は未完成だったの。私が着けて初めてこの香りになるのよ。ベースはこちら」 環はゴールドのパーティバッグから小さなアトマイザーを取り出す。 「嗅いでもいいかな」 「ええ」 薫樹はスーツの中から手帳を取り出して白紙の部分を少し破り取り、環の香水をかけた。そしてゆっくりと鼻先に近づける。 「ふーむ。このままでも素晴らしいが、確かに、何か足りない。君の体臭と混じることで完成度が高くなっているようだ」 「ジャンは楊貴妃の香りを再現したかったみたいよ」 「なるほど。ジャンも君のイメージを小野小町でなく楊貴妃ととらえたわけだ」 濃厚でセクシーな名香を前に薫樹は興味を隠せない。 「もっと近くで嗅いでもいいわよ」 月光に照らされた環の冷たい笑顔と香りが薫樹の思考を停止させる。思わず手を伸ばしかけたとき、ガサガサと茂みから音がしてするっと涼介が現れた。 「やあ、兵部さん、こんなところに居たんですかー。おや? 環さんもご一緒で。お邪魔だったかな? そろそろ閉会式の挨拶ですよ」 「あ、いや、ありがとう。今行くよ」 環は冷たい視線を涼介に送り、すっと会場へ入っていた。 後姿を見送り、涼介は薫樹に尋ねる。 「どうしたんですか? 兵部さん。なんか彼女とわけありなんですか? お二人やけに親密だなあ」 「そういうわけじゃないが」 「ふーん。まあ、しかし怖い女性ですねえ。にこりともしないし。あんな態度女性にとられたのは初めてですよ」 涼介は珍しく機嫌を悪くしている。 「元々アイスドールと呼ばれてたくらいだからね。でも、去年恋人を失くしたんだ。こんなところへ出てきてるだけでもすごいと思うよ」 「ああ、恋人を……」 同情を見せる涼介は気を取り直した様子で、会場へ戻ろうと薫樹を促した。
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