第三部

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帰り際、環は「いつでも連絡して」と薫樹に名刺を渡した。『KIHI=貴妃』の香り付きで。 名刺の香りを嗅いでいると、涼介がまた薫樹を構う。 「兵部さん、そんなに彼女の匂いがいいんですか?」 「あ、ああ。久しぶりにハッとする香りなんだ」 「ふーん。芳香ちゃんよりもですか?」 「芳香……か。彼女はムスク(ジャコウ鹿)だが、環の体臭はシベット(ジャコウ猫)の香りがする。しかも香水と混ざって完成度を高めている。配合が少しつかめなかった」 「なんだかなあ。環さんに興味があるのか、匂いだけなのかはっきりしてくださいよ。芳香ちゃんが心配しますよ」 「ん? ああ。大丈夫。環自身に関心を寄せることはないと思う。――ふぅ、なんだか少し疲れた。今日はもう帰って休むよ。じゃ」 「はーい。お疲れ様でした」 環の出現が何かしら薫樹に揺らぎを与えている様子に涼介も何かしらの動揺を感じる。 「兵部さんに限ってなあ」 涼介から見ても、環と薫樹の関係は芳香と彼の関係以上の深さが感じられた。なぜか薫樹が環の方へ流れてしまわないように、芳香を支えたい気持ちが芽生えている 「あれ? おかしいな。兵部さんと環が上手くいけば占めたものじゃないか」 自分自身の感情に困惑する。涼介はいつの間にか薫樹と芳香のカップリング自体も好きになっているのだ。 とんちんかんな薫樹と芳香のやり取りはまるで漫才のようにも見える。 「ふー、なんか俺も色々忙しいんだけどなあ」 お節介を焼こうとしている自分がなんだか愉快に感じる。胸元からスッとアトマイザーを出しミントのオーデコロンをさっと顔に向けて吹きかける。 「さて、俺も帰ろう」 濃厚な『KIHI=貴妃』の香りを爽快なミントの香りが打ち消す。しかしそれぞれのラストノートは仲良く交わっていた。
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