わたしには彼を夫と呼ぶ資格なんて無い

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 その日は強風によって電車のダイヤが乱れていて、いつもなら速度を緩めることなく通過するはずの快速電車が、減速してホームに進入してきていた。だから私は、全身に打撲や骨折を負い、頭を強く打って約1ヵ月間眠りについていたものの、奇跡的に、一命を取り留めたのだという。  わたしが髪を伸ばしているのは、その時の傷跡を隠すためだ。  ――と、ここまでほとんど伝聞系なのは、わたしにはその事件に関する記憶が無いから。  事件から1月後、目覚めたわたしが目にしたのは、真っ白な天井。  次に、彼の顔だった。  丁度様子を見に来ていた彼の目の前で、わたしは目覚めた。  彼はわたしの手をとって、「僕のこと、わかる?」と涙を流しながら言った。  その問いに、わたしは、こう返すほかなかった。 「ごめんなさい、わかりません……」  わたしにとって彼は、初めてみる、知らない男の人だった。  見たところ今自分がいる場所が病院の一室で、彼がわたしのお見舞いに来ているのだろうということはわかったけど、それ以上のことはわからなかった。  彼の名前も、わたしにとってどういう人なのかも、そもそも、わたしはわたしが誰なのかもわからなかった。彼はそのまま、来客用の椅子に腰を下ろした。……いや、崩れ落ちた先に丁度椅子があったと言うほうが正しいかもしれない。  その時の、全ての感情が抜け落ちてしまったかのような彼の表情は、今でも鮮明に思い出すことができる。  ――そう。     
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