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そんな失恋の真っ直中にいるにもかかわらず、わたしの頭は場を取り繕うような大義名分をはじき出し、それをまっすぐ口へと伝える。そんな延命治療がなんになるというのか。
「へぇ、驚いた。チェーンスモーカーが殊勝なこって」
「うっせーよ。でもほんと、ありがとな」
うざ、と笑った自分の声の軽薄さに、じり、と心臓が焦げ付いた。
どうせならあんな死ぬほどどうでもいい軽口を叩ける頭じゃなくて、たとえばさっきわたしの手に触れた幸彦の温もりとか、ひなびた部屋の湿度とか、淡く浮かぶ鎖骨の形とか、曖昧にわらうくちびるのかさつきとか、そういう幸彦を象る一切を覚えておけるようなそんな頭が欲しかった。それらがわたしのものになったことなど一度もなかったけど、これからはそれを望むことさえ不自由になるんだから。どうせ忘れようとしても忘れられないなら、何一つ残さず覚えておきたかった。だけどそれが叶わないのも頭のどこかは充分にわかっていて、だからこそわたしの記憶からもいずれ失われていく幸彦の全てが、とてつもなく愛おしかった。
ここで涙の一つでもこぼせたら、幸彦をほんの少しでも揺さぶることが出来たのかもしれない。そんな後悔を他所に、幸彦はくるりと背を向けてわたしの前を歩く。
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