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粗末な朝食を済ませ、レオナールは笑顔で席を立ちます。
「また、お手伝いの仕事をするよ。お金がいくらかたまってから、ケノザの絵を描こうと思うんだ」
ケノザはレオナールをきつい目でにらみました。
「もうこんな生活はこりごりです」
くちびるをほとんど動かさずにしゃべるケノザの顔には、冷たい膜がはっていました。
レオナールは思ってもみなかった台詞に、初めはなにを言われているのか、わかりませんでした。
レオナールが戸惑っているあいだにも、ケノザからはひどい言葉が放たれます。
「出て行きます。昨日、ひと晩ゆっくりと考えたのです」
「なにを言い出すんだい」
「わたしさえいれば、誰でも高く売れる絵を描くことができます」
「いったい、どうしたんだ」
レオナールの声はふるえていました。
「どうしたもこうしたもありません。貧しいくせに、へらへらと笑っているあなたには、愛想がつきました」
ひと言うそをつくたびに、ケノザの心は針で貫き通されたかのように、深く鋭く痛むのでした。
「わたしは、あのひげの画家の居場所をつきとめました。彼はあなたと違ってお金儲けがうまいわ。彼といっしょにいたほうが、わたしは幸せになれる。あなたはもう用済みよ」
勢いよくきびすをかえすと、戸へとかけよりました。
これ以上レオナールを前にしていると、涙がこぼれ落ちそうです。
部屋をあとにするケノザは、泣き声がもれないようくちびるをかみしめていました。後ろから呼び止める声と、走る音が響きます。
ケノザはほほをぬらして走り、胸のうちで願いました。
わたしは花として消えてゆきたい。
もう一度、やさしい瞳で見てもらえれば、それで十分です。
どうかまた、小さな花に会いにきてください。
「さようなら。いつまでも、愛しています」
ささやきが空気にすいこまれると、ケノザの体は初めからなかったかのように、あとかたもなく消え去ってしまいました。
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