第一話 【その代償】~緑河柳太~

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 黒いセダンタイプの車の後部座席に乗った途端、運転席で黒縁眼鏡をかけた男が呆れた様子でため息を漏らした。不意にルームミラー越しに目が合う。男はすぐに目を逸らす。 「柳太ぁ、引っ越し面倒なら業者に頼むよ?」  その隣、つまり助手席に乗っている男が言う。彼は車に乗り込んだときから柳太を親し気にそう呼んだ。 「あ、いえ。そんなに荷物ありませんし、お金勿体ないですから……」 「偉いねぇ、さっすが!」  助手席にいる男はそう言って、柳太に振り返り、微笑みかけた。  栗色の癖毛が揺れている。その肌が白いのは暗がりの車の中でもよくわかった。ハッキリとした二重、左の目の下には泣きぼくろ。柳太はこの男の顔を既によく知っていた。その風貌は嫌いではない。  彼の名は赤荻(あかおぎ)(ゆう)。車の後部座席で揺られながら、柳太はその名前を心の中で呟く。 「なぁ、ホヅミ。なんて言って家出て来たの?」  夕が黒縁眼鏡の男に尋ねている。その声は心なしか弾んでいるようだ。  彼らが友人なのか、仕事仲間なのか、はたまた家族なのか。柳太は知らない。何しろまだろくに紹介も受けていないのだ。  夕はともかくとして、黒縁眼鏡の男の方に関しては特にそうだった。せいぜい柳太が知っているのは、綺麗に整えられた黒い短髪の後頭部と、ルームミラー越しに合う視線が決して友好的ではない、ということくらいだ。 「お客さん、もう来てるんだろ?」 「あぁ。でも、さすがにどう説明すりゃいいかわからなかったから……」 「から?」 「……車の盗難に遭ったらしい、と言ったよ」  黒縁眼鏡の男はそう言ってから、ルームミラーで柳太をもう一度確認するように見た。睨まれてはいない。が、近いものはあった。 「そんだけ?」 「あぁ」 「つまんねー! やっぱお前ってユーモアセンスゼロだよなぁ」 「バカ野郎! ユーモア言ってる場合か! やくざとやり合ったなんて、何かあったらどうするつもりだったんだ!」 「あーもう、怒らない、怒らない。そんな怖い顔してるとお客さん逃げちゃうよ? ほら、スマイル作って、スマーイル!」  人懐っこい笑顔がサイドミラーに映っている。小さな鼻に、きゅっと口角の上がった口。彼は今日から柳太の雇い主になるのだ。 「ね、新しい車何にしようか。最近よくあるクリーンディーゼルってどう思う? おれは結構興味あるんだけど」 「夕、その話は今日の商談が成立してからだ」 「はいはい」  二人の会話がまるでBGMのように絶えず聞こえている。賑やかなことだ。  ふと車の窓から空を見上げれば、澄んだ濃紺の空に星が瞬いているのが見えた。車の中からでも、冬の星座は明るく、実によく見える。しかしそれは今の自分の状況とあまりに違っていて、柳太はひどい違和感を覚えた。  俺……、これからどうなるんだろ……。  柳太は漠然とした不安を抱えて、車の窓に寄りかかる。頭の中では今日の事を思い返しながら、過ぎていく外の景色をぼんやりと眺めた。
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