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それは、約数時間前の事だ。
「なぁ、柳太。正月落ち着いてもまとまった休みはもらえないのか?」
「えぇ? コンビニのバイトなんだから、そんなの無理だって」
柳太がそう返すと、父親である洋一は「そうか」と言って、申し訳なさそうな顔を休憩室の奥に引っ込ませた。
ここ、藤沢駅前にある緑河生花店の一人息子、緑河柳太は、今年の元旦で二十五歳を迎えた。柳太は父の営むこの店を手伝いながら、駅の反対側のコンビニでアルバイトをしている。毎日ほぼ休みなく働く『フリーター』だ。
「お前にばかり忙しい思いをさせて悪いなぁ……」
今にも泣き出すんじゃないかと思うような、情けない声が休憩室から聞こえてくる。とは言っても、そういう声を出されるのはいつものことだ。
「別に……。俺は平気だよ。就職できれば休みだってちゃんと取れるから、店だってもっと手伝えるし、そんな心配すんなって」
そうすりゃ……、今より金だってきっとたくさん返せるんだから。
店の手伝いをしながらコンビニでアルバイトをし、その合間に就職活動をする。柳太はこの数年、必死にそんな生活を続けてきた。その道のりは過酷、且つ望みは薄い。大学を僅か一年で中退し、何の資格もなく、ただ店の手伝いをしてきただけの柳太である。残念ながらそこそこの給料で雇ってくれるような会社は、なかった。もちろん、長時間労働で安月給の仕事ならたくさん見つかる。だが、それではダメなのだ。
「柳太。母さんから連絡、ないよな?」
この質問を柳太は一日に数回受ける。が、答えはいつも決まっていた。
「ないよ」
「そうか、正月はどこにいたのかなぁ……」
「知るわけないだろ、そんなの」
じょうろを片手に、まだ蕾の多い売り物の鉢植えに丁寧に水をやりながら、柳太は苛立って口を尖らせた。
「またどうせ昔の知り合いの家にでも逃げてんだよ……」
苛立ちながら嘲笑して言ったそれは、洋一には聞こえないように小さく呟いた。
この家には、かつて天真爛漫で底抜けに明るい柳太の母親、香代子がいた。彼女は誰にでも優しく、そしてとても美人だった。その母、香代子に莫大な借金があったとわかったのは五年前の事だ。
街金から金を借り、その街金に金を返す為に別の街金からも金を借り、更にその金を返す為に闇金に金を借りていたらしい。ある日突然、取り立て屋が家にやって来たとき、柳太も洋一も、これはきっと何かの間違いだろうと信じた。
……あれも、正月明けだったっけなぁ。
当時、父の洋一はショックを受けてはいたようだったが、一度も香代子を怒らなかった。それどころか、頑張って返せばいい、一緒に頑張ろう、と言って、泣いて謝る彼女を懸命に気遣ったのだ。
ところが香代子はその後、親戚にも金を借りて、その金をどの金融会社に返すこともしないまま、高額の化粧品や洋服を買うことに使った。カンカンになった親戚から電話がきてそれがわかったとき、柳太はまだ二十一歳だったが理解するのは容易だった。既に香代子は病気同然だったのだ、と。
その後、彼女は自己破産をした。親戚への借金は未だに一銭も返せていないままだったが、それでも一時は取り立て屋も来なくなった。きっと香代子が自己破産をしたことで、事態はやっと落ち着いたのだ、とそのときは恐らく誰もがそう思っていた。
しかし昨年、新たに借金が見つかった。その事が決めてとなり、洋一はようやく香代子との離婚に踏み切った。
既にブラックリストに名前が載っていて、簡単に金を借りることができなくなっていた為だろう。彼女は闇金融だけではなく、今度は息子である柳太の名義で銀行のカードを勝手に作って金を借りていたのだ。つまり自分でも気が付かないうちに、柳太は多額の借金を抱えてしまっていたのである。
香代子は離婚が成立してから何も言わずに家を出ていった。それからは行方もわからない。親戚によれば、昔の知り合いに厄介になっているらしかったが、それも聞いた話だということだった。
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