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夕はそう言って手元の腕時計に視線を落とした。
「もちろん、いいですよ。お色は?」
「男性だから、寒色系がいいかな……。あ、でもちょっとこの季節にしちゃ寒々しいか……」
「じゃあ黄色にしておきますか?」
「そうしようかな。いつも通り、込み四千円くらいの感じで。なるべくゴージャスになるように――あっ、香りが強いのは避けてくれる? 食卓に置くから」
「わかりました」
柳太がそう返事をして切り花を選び始めると、夕は店の中をぐるりと見渡した。手を顎に添え、時折首を捻る。何か考えているようだ。
「何か、気になることでもあります?」
「うーん……。ねぇ柳太くん。ここに蝶って来ることある?」
「蝶?」
柳太は黄色いカーネーションと一緒に、カスミソウを選びながら聞き返した。カーネーションは比較的香りが少ない。ひらひらとした花びらは見栄えもする。食卓に飾る花束には打ってつけだ。
「そう、虫のね」
「暖かい時季はたまにそんなこともありますけど……。どうしてですか?」
「おれの同居人がね、うちには花が飾ってあるのになんで蝶が来ないんだって言うんだよ。おれは切り花だからじゃないのって言ったんだけど」
「切り花でも蜜を吸いに来ることはあると思います。でも……今、冬ですよ?」
「今はね。冬場は静かなんだけど、春になるとそいつがもううるさくって……」
「それなら、何か植える方がいいんじゃないですか?」
まさかこの男は蝶の為に花を買っているのだろうか。だとしたら、なんだか可愛い。そう思って、柳太は少しだけ笑った。
「やっぱりそうなのかなぁ……。あー、面倒くせー……」
ちょうど、夕がうんざりした声を出した、その時だった。
「すみませーん、緑河さーん?」
入り口の方で声がした。見ると、そこには男が二人立っている。一人は中年、もう一人は若い。若い男の方は恐らく、柳太より歳下だろう。
その声、口調、姿をほんの一瞬見ただけで柳太にはわかる。その男達が何の目的でこの店へやって来たのか。背筋に緊張が走った。
「あれぇー? 今日は坊ちゃんだけ? お父さんは?」
そう言ったのは若い男の方だ。やたらと張りのある、わざとらしい甲高い声に洋一も気が付いて、休憩室から慌てて出て来た。
「何でしょうか……」
「あっ! 緑河さん! なんだぁ、いるんじゃないですかー!」
若い男がそう言ってニヤニヤ笑いながら、洋一に近づいていく。
「な、なんです……?」
「なんです、じゃないでしょう? 今月、随分足りなかったですよね?」
そう言ったのは、もう一人の中年男だ。中年男は入り口付近にそれはえらそうに立ったまま声を張った。
「どうかされたんですか?」
二人とも一応は敬語を使って話している。が、それは、『敬う言葉』とはお世辞にも言えない乱暴な口調だった。
「すみません、生活の方にも少しお金を残しておかなければいけないので……」
弱々しく、洋一は言う。それを聞くなり、若い男は噴き出して笑った。
「生活って……! あんたの生活はここで花売ってオレらに金返すことでしょ? 他にないですよねぇ?」
「そうですが……、でも私達も食べていくのにギリギリなんです……」
「嘘、嘘ー! 年末儲かったんじゃないんですかぁ? ほら、葬儀とか結構入る時期でしょ?」
彼等には思いやりもデリカシーもない。そこに今、客がいることもお構いなしだ。
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