第一話 【その代償】~緑河柳太~

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「……いくらです?」 「は?」 「いくら返せばいいのか聞いてるんです」  夕の問いかけに、中年男が冷静な声で言う。 「ざっと三百――いや、耳揃えて四百ってとこですかね」  若い男が噴き出して笑った。二人とも完全にこちらをバカにしている。その金は返しても返してもなかなか減らない。高額な利子のせいだ。きっと彼らは完済できるはずもない金を貧乏な花屋の亭主から、半永久的にむしり取る気でいるのだろう。 「ふうん……」  夕は少しの間、何かを考えていたようだったが、不意に「あっ」と声を上げた。 「じゃあ、僕が彼らの代わりにお返ししときますよ。そしたらもうここには用はないでしょう?」 「あ? 適当なこと言ってんじゃねえぞ、てめえ」  若い男が中年男の制止を振り切って夕に近寄り、睨みつける。だが夕は少しも顔色を変えなかった。 「適当なんかじゃありませんって。四でいいんでしょ? ならそこに停まってるので完済できませんか?」  夕が指差した先には一台の車が停まっている。夕がいつも乗ってくる愛車だ。真っ白で滑らかなフォルムのその車体は、どこからどう見ても高級車だった。 「下取り、今ならまだ四は軽くいくと思いますよ」  夕は店を出て車の横に立ち、笑顔を取り立て屋に向けて手招きしている。  中年男の方が先に夕の元へ行き、車に目を向けた。その一瞬で、彼はすぐに目の色を変える。 「ね? いい感じでしょ? ちょっと年数は経ってるけど、そこら辺に一軒家建つくらいは余裕でいくと思いますよ。おつりは要りませんから。どうぞお二人のお小遣いにでもしてください」 「……お前、どういうつもりだ」 「どういうつもりって、僕はここの常連なんです。ここがなくなっちゃうのは嫌だって、それだけ」  そう言った後、夕は柳太に微笑みかける。男達に向けられているのとは明らかに違う、柔らかな笑みだ。中年男は眉をしかめていたが、やっと声を出すようにして悔しそうに答えた。 「……わかった」 「良かったー! 交渉成立! あっ、ちょっと待ってくださいね。荷物取って……、お迎え呼ばないと」  夕は嬉しそうに運転席のドアを開け、中の荷物を取り出し始める。 「はい、これでよし、と。あと、中に残ってるものはみんな捨てちゃっていいんで、よろしくお願いします」 「レンさん……、この車、本当にそんなにするんすか?」 「これ以上高いクーペは、逆にこの世に存在しない」 「ひぇ……」  中年男のその言葉に、若い男は悲鳴のような声を上げた。 「んじゃ、はい。これ鍵ね。あんたらなら盗難車だって適当に売り飛ばすんだろうから、あとはきっと大丈夫ですよね。煮るなり焼くなり好きにしてください」  そう言いながら、夕は持っていた車の鍵を中年男に手渡す。 「と、いうわけで。はい、これで完済!」  夕はなおも笑っている。 「さぁ、もう行ってください! さよなら! お二人とも!」  取り立て屋の二人は、舌打ちをしながら悔しそうにその車に乗り込んだ。すぐにエンジンがかかり、車は走り去って行く。その姿は実に滑稽に見えた。夕は両の手を大きく振りながらにこやかな笑顔でそれを見送っていた。  やがて車が見えなくなってしまうと、彼はジャケットの内ポケットからケータイを取り出して電話をし始める。 「さぁーてと、急がなきゃな……。――あー、もしもし? ちょっとお願いがあるんだけどさー」  柳太と洋一は呆気に取られてその様子を見つめていた。そうすることが、たぶんそのときの二人には精一杯だった。 「え……? そうそう、買ったよ。でね、その帰りに追いはぎに遭っちゃってさぁ」  そう言って夕はけらけら笑っている。 「いや、嘘じゃないよ、本当なんだって! 車取られちゃったんだよー。だからさ、お迎えよろしく! 藤沢駅前の、緑河生花店ってとこにいるから。んじゃ」  そう言うなり、夕はすぐに電話を切った。 「あの、これは……どういうことなんでしょうか?」  柳太の隣で、やっと洋一が途切れ途切れに声を出した。しかし、その声はまだ震えている。 「あ! すみません、勝手なことを……」  洋一に向き直り、夕は深々と頭を下げる。 「いえいえ、あの、助けて頂いて、こちらこそ申し訳ありません……!」  洋一も慌てて頭を下げた。 「やめてください、ご主人。僕が勝手にやったことですから」 「でもあの、お車が……」 「あぁ、あれ? いいんです。どうせムカつく奴から貰ったもので、乗ると思い出してイライラするんで売っぱらおうと思ってたところだったんです。ちょうど良かったですよ」 「はぁ……」 「次に乗るのはもっと燃費いいやつにしようかなぁ。やっぱ今時はエコでしょ? そう思いません?」  夕はそう言ったあと、くしゃみをして体をぶるっと震わせた。 「うー……、さみ……!」 「あ……! 良ければお迎えが来られるまで奥へ上がってください! 暖かくしてありますから! ほら柳太、お湯沸かしてお茶淹れて!」 「あぁ、うん……」  柳太は夕をちらっと見てから休憩室に入る。  何だろう。何かがおかしい。だって、こんな都合のいいことがあるわけがない。この人があいつらに返してくれた金は四百円でも四千円でもない。四万円でもない。  四百万なんだぞ……?  柳太が思ったその感覚は、間違いなく正常だった。
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